Make組ブログ

Python、Webアプリや製品・サービス開発についてhirokikyが書きます。

努力の天才って言葉やめよう

Twitterではちゃんと話せないからまとめる。
そうならないように気をつけてることも書く。


この「努力の天才」という言葉、「天才」が話題にあがると見かけること多い。
「天才というのは努力する天才のこと」と言い切ったセリフも聞く[要出典]

でもこの言葉どうよ。

この言葉からすると、天才と呼ばれるほど技能や成果を得るには、大きな努力が必要であると認めてる。
努力が必要ってのは私もそう思う。でも、その努力ができるのは先天的に選ばれた人であると言っている。

自分が努力できないのを、棚に上げているようである。
そんな人が「天才」と呼ばれるほどの人間になれるとは思えない。

私なりには考えがあって、努力できていると思ってる。
でも私は「努力の天才」でもないし、精神力があるわけではない。

自分がどうなりたいのかを考える

何らかの技能、成果を得るには、それなりの努力が必要。
それは確かだと思う。じゃぁなぜ努力ができるのか。

大事なのは自分がしたいこと、なりたいものは何かを考えることだと思う。
それが明確だと、目の前にある雑多なことや、くだらないことに目が向かなくなる。
「要らないこと」と判断できるようになる。その判断の基準になってくれるのが自分のなりたい姿なんだと思う。
それら要らないことを排除したうえで、自分のすべきことを見据えれば自然と努力はできる。
その「努力」ってのはガンバリズムなニュアンスの「努力」とはちょっと違う。
気合いや根性じゃない、楽しむことができる努力だと思う。もちろんある程度自分を制御してやる必要はある。

天才とか才能とか、「生まれたときからなるべき姿が決まっている」と考えるのはやめよう。
たしかに持っている人は持っているんだろう。でも自分には関係ない。
そもそも、この文章を読んでる時点(私の場合は書けている時点)で、かなり恵まれた環境だと思う。
たしかに「あなたは天才、こうなりなさい」というのが初めっから決まってるものでは無い。
だからこそ考えないといけない。んで、視野を広げるために色んなことを知らないといけない。

自分が何をしたいか考えよう、無いなら気になることからやってみよう。
自分のなりたい姿が明確であればあるほど良い。何すべきかが明確にわかるから、判断を的確にできるようになる。
自分の軸もないのに努力できたら、それこそ「努力の天才」だと思う。そしてそんな人はいない。

でもテキトーでいい

ここまで言ったけど、たぶん疲れる。
これは文章の恐いとこで、書いてる人間が言いたいことだけ言っちゃうとすごく困難な課題になっちゃうってこと。

だからたまにはアニメを観てもいいし、友人とおしゃべりしてもいいと思う。
そもそも人間の脳みそは3ヶ月で飽きるようになっているらしい[要出典]。

でも、なりたい姿を考えて、それに向かおうとてることは絶対に卑下しちゃいけない。
息抜きしたとしても軸をもっていれば戻って来れるから、そこは大切にしないといけない。

もちろん、なりたい姿が変わってしまっても良いと思う。
軸がブレるのはダメって言ったけど、徐々に動いていくのは良いと思う。
それは自分の視野が広がったからで、より精度の高い軸に近づけてるのだと思う。

多少テキトーでいい、クラッチは焼け付いてしまう。
でも軸をもって、そこに戻って来れるようにしよう。

おわりに

この文章は私が日頃思ってることで、今それなりに実践してること。
だから正解かどうかは知らんし、そんなものは無いと思う。
影響うけてると思うのは

と Give a reason というアニソン。
他にも

とか。
この辺はしょっちゅう読み返すし、好きな言葉は壁に貼ってるくらい。
だから気になったら読んでみるといいと思う。

自分の文章を見返して思ったけど、まだ何か意識高いな。文にしてみると仕方ないかな。
ま、これを5月中旬にコレを書けてるってことはそれなりに信じていいと思ってる。