Make組ブログ

Python、Webサービスや製品開発、ライブラリー開発についてhirokikyが書きます

製品を使ったときに余地を感じられるかどうか

まえがき

これは僕の雑記なので、あまりマジメに言及することはオススメしません。 どんな人が読んでも、読む人にとって不快感のないよう配慮しておりますが、内容の正確性や面白さ、情報としての価値は保証しておりません。

本文

製品を使ったときに、自分の人生がこう変わるかもしれないと感じれるものを作りたいと思っています。 人は根源的に、自分の生活や人生を変えたいと思っているものだと僕は考えています。 それは劇的に自分の何かを変えたいと万人が思っているというわけではなくて、日々自分の生活を豊かにしたり、 自分にとって「違うもの」に触れたり、避けたりして自分の人生を変えたり、守ったりしたいと思ってるという意味です。

僕は、人が製品に触れたときに、その可能性を感じれるものを作りたいと思っています。 それには「余地」が必要だと思っています。使い手が自分自身で解釈して、自分自身の人生に適応していく余地が必要だと考えています。

そのために、僕は「シンプル」であるべきだと考えています。「シンプル」という定義も曖昧なので難しいですが、多くの製品は僕の感じるシンプルとは違うように思えます。 シンプルである、ミニマルであると言いつつ、使う人にとっての可能性の余地がないものが多くあります。 また、余地は存分に作りつつも、使い手が自分自身の内面にどう適応していけば良いかがボヤけた可能性を感じられないものも多くあります。 僕は、これらはシンプルでないと思います。シンプルなものは、簡素であり、削ぎ落とされており、機能に注力しており、かつ可能性を感じれるものだと思います。

例えばWebサービスなどでよく「Simple and minimal User Interface」などの踊り文句をよく見ます。 確かにその製品はよく作られていて、チュートリアルなども充実していたりしますが、たいていの場合「余地」を感じません。 そこで言われる「シンプル」というのは、単に機能的な面で分かりやすいと言うだけで、言ってしまえば簡素なヘルメットであったり、トースターのような印象を受けます。 その製品を通して、新しい可能性や創造の余地、面白み、使うことを通して感じる「何か」が無いような印象を受けます。

そうなってしまう理由は、作り手の中で世界が完結しているからだと思います。その作り手の考える世界に準じること、準じさせることが製品の最大の目的になっているからです。 作り手にのみ主体があり、使い手は単なる使い手でしかないような製品です。 それは僕は、シンプルでないと思いますし、製品として僕の作りたいものではないなと思います。

「機能美」といってもその機能の先に「何か」を想像できるでしょうか。「シンプル」といって使い手の自由を奪うものではないでしょうか。作り手の世界を強要するものになっていないでしょうか。 まして、ユーザーの工夫や創造性を「そぐわないもの」として排除してはいけないと思います。作り手は場や空間、可能性を作るものであって、ユーザーの思想を脅かしてはいけないと思います。 新しい世界を作るのは作り手ではなく、それを使った使い手であるべきです (もちろんツールとして安全であるべきものや、規格に準ずるべきもの、業務的に正しく使わせることが目的のものは作り手の意図に従わせることが正しいと思います)。

僕が作りたい製品は、ミニマルで小さくて使い方がわかりやすいのはもちろん、使う人が自由に模索できる余地があるものを作りたいと思っています。 ただ挑戦的で尖ったものを作りたいという意味でなく、その人の中で製品を解釈できて、今までの(使い手の)常識を見返すキッカケになって、その人の人生にその人の工夫で取り込まれていくような製品です (もちろん美しい体験を保証したいので、導線や、ランディングページの分かりやすさは大切だと思っています)。

例えばモレスキンのノートはとても簡素でシンプルですが、それを使ってどうノートを取るか、人生を形作るかは使う人に委ねられています。 メモ帳のように使っても良いですし、バレットジャーナルのように使っても良いですし、ユビキタスキャプチャーのように使っても良いです。 その余地があるからこそモレスキンのノートはシンプルで簡素でありながら美しいですし、使い手に愛を与えるものだと思います。 それは使い手が自分で発掘した使い方そのものに愛を寄せているのだと思います。 モレスキンがすごいのは、シンプルなノートに「ピカソ」や「ゴッホ」も使っていたという物語を載せることで、その愛と可能性を加速させることにあると思います。 さらにすごいのは、ピカソゴッホモレスキン社のノートを使っていたわけではないという点ですね。

僕はPyQにおいては使い手が制限されないように最大限配慮して作りました。 PyQはWebの教育用プラットフォームですが、実務と同じ環境を動かしながら自学自習できることに力を使っています。 作り手としては教育用の制限された環境を提供するのが一番簡単です。利用者に、教育者が指示する方法でしか動けないようにするのが一番簡単です。 ですがそれでは意味が無いと考えています。PyQでは最大限シンプルに、本物の環境を提供しています。 さながら、机に向かう義務教育やテストでの評価を放棄して、文学や芸術、語学の実地を学生に体験させるようなものです。 これはセキュリティやシステムの設計、料金体系などを考えると本当にチャレンジングなことですが、僕も考えるシンプルさを貫けたかなと思っています。 今後、コンテンツも併せてよりユーザーさん自身が学ぶ場、工夫できる場、人生に可能性を感じれる場にしたいと思っています。

僕は、使い手の想像できる余地、新しい人生が想像できるワクワク、創意工夫できる自由がある製品を作りたいと思っています。 そういうものこそ、本当に人に愛され、長く、広く使われる製品なんじゃないかなと考えています。 新しい常識を、使う人自身が生み出して、その人自身の世界を変えていけるような製品を作りたいと思っています。