Make組ブログ

Python、Webアプリや製品・サービス開発についてhirokikyが書きます。

どうでもよいストレスとどうでもよくないストレス

この記事はあくまで id:hirokiky が自分の考えを書くものであって誰かの権利や自由を損害するものではありません。

表現には十分配慮しておりますが、至らぬとこがあればコメントでご報告ください。

 本文

最近、会社でメンタルケア研修を受けています。これは大変ありがたい会社の補助で、ストレスへの対処法や接し方、避け方を学んでうつなどの病気にならないようにしようというものです。

 

そこで、物事を受け取るときに「リフレーミング」することで楽になれるよ、というものがありました。

例えば「このサービスは使えないくそだ」という強い怒りや悲しみを覚えたときに一瞬、以下のように考えてみようという方法です

  • このサービスは別に悪いわけではないよな
  • なるほど、このサービスのことをよく見ているんだな
  • これが便利に使える人もいるのかもしれないな

このように捉え方を一瞬変えてみてみることで、状況を見てみようというものです。

もちろん物事自体は改善しませんし、これで100パーセント感情が収まるわけではありません。ただ、99パーセントや80パーセント、60パーセントに落ち着けることで自分が疲れなくて済みますし、状況にも冷静に対応しやすくなるでしょう、というものでした。

他にも「満員電車」や「レビューコメントでLGTMしかしない状況」、「暗に自分を攻撃してくる人」に接するときに使える(とかまぁそんなかんじの)ものです。

 

これについてはたしかに便利なメソッドでした。枠にはまった見方以外をしてみようということですね。

僕はよく「これはダメだ」とかをよくミーティング中や会話、Twitterなどで言うんですが、そのときにはこういう違いがある気がします

  1. これは良くない。直そう、無くそう(自分の仕事や自分の領域にあること)。自分の仕事、サービスや製品、著書に関すること
  2. これは良くない(利害関係もないしどうでも良いこと)飲食店とかどこぞの誰かの広告

たとえば、以下の広告はかなり良くないと感じます。とくに文字の視認性の低さが地をはうレベルだと思います。

 

https://twitter.com/nhk_n_sp/status/974279084007030784

 

ですがこれは2番の「利害関係がないとき」なので、たとえ広告を見てスマホを地面に叩きつけたくなっても5秒後には忘れています、僕は。次の瞬間に「あぁワッパーまじうまいな」とか思えます。

 

たぶん僕は、かなり極端な考え方をしているし、すぐダメだとか言うし、「まぁみんなお互い大変だから仕方ないよね」みたいなのも受け入れられない人間です。かなり白黒をハッキリつけます。

でも日常生活を営んでいて問題がないのは、そんなことがあっても2においては全く気にしてないからと思います。そこから「なんでこの広告はこんな色味にしてしまったんだ?誰がどんな教育をうけてこんなものを?きっと何々~なんだろうな、Twitterに書いてやろうか?」みたいなことを一切考えないんですね(こういう、怒りや悲しみからの妄想が激しい人は人生が大変なんだろうなと思う)。

 

ただ先述の1、仕事や自分の作品についてはその怒りや悲しみ、はずかしい気持ちや申し訳ない気持ちがかなり長く続くので、胃袋を悪くしてしまった(してしまっている)んだろうなと思います。

でもたぶん、それは僕の作るものの完成度や作る意義にプラスにも働いていると感じています。人間、ダメだと思っていても率直に言える人は少ないです。ダメだと思っていても自分でケツを持って直せる人は少ないです。製品やお客さんのために是が非でも良くしたいという人はほとんど世の中にいません。

でも、僕はそれを白黒ハッキリつけて良くしたいと思っていますし、性格故に推していけるんだろうなと感じています。

 

かなりのストレスを受けていますし、率直で協力的で生産的なメンバーにも助けられています。

でも、僕は今の自分のままで良いと思っています。もう少し、リフレーミングとかの使い方は知っていても良いかもしれませんが、自分の主張は率直に常に言いたいと思います。

 

一番ストレスを受けない方法は、未来も過去も他人の考えも、社会の常識も自分の正しさにも自分の在り方にも一切こだわらず、ただ感じるまま、あるままに生きることなんじゃないでしょうか。