Make組ブログ

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村社会はどこにでも

ふと思ったのですが資本主義も一歩引いて考えると村社会と言えるのではないでしょうか。

資本家が多くの力や発言力を持っているというのは、周知の事実だと思います。 この資本主義も多くの人が参加しているようで、実は狭い範囲の人がそのルールを握っています。

「村社会」 集落に基づいて形成される地域社会。特に、有力者を中心に厳しい秩序を保ち、しきたりを守りながら、よそ者を受け入れようとしない排他的な社会をいう。しきたりに背くと村八分などの制裁がある。 同類が集まって序列をつくり、頂点に立つ者の指示や判断に従って行動したり、利益の分配を図ったりするような閉鎖的な組織・社会を1にたとえた語。談合組織・学界・政界・企業などに用いる。

goo国語辞書「村社会」 https://dictionary.goo.ne.jp/word/村社会/

たしかに資本主義はよく機能するシステムですし、僕は社会主義共産主義が良いと話を展開する気はありません。 資本主義の問題について論じるのも、マイケル・サンデルマルクス・ガブリエルに譲ります。

でも僕が怖いなと思うのは、皆が実はジョーンズタウンで生活しているのでは?という疑念です。 規模が大きいだけの村やエコーチェンバーの中にいるのでは?という仮説です。

ジョーンズタウンは、アメリカ合衆国キリスト教新宗教(カルト)・人民寺院によってガイアナ北部に開拓・設立された町(コミューン)。(中略) 1978年11月18日、この人里離れたコミューンで計918人の集団自殺を決行したことで世界的に著名になった。

Wikipedia「ジョーンズタウン」 https://ja.wikipedia.org/wiki/ジョーンズタウン

もちろんこれは少し悲観的すぎる見解です。ですが「僕たちは案外狭い社会的価値観の中で生きているのでは?」と疑うことはできます。そして多くの人が言う 「お金が欲しい」というのは実のところ資本主義という村から脱出したい という願望にさえ思えます。

というよりも資本主義にしろ、日本社会、Twitter、コミュニティ、スタートアップ界隈にしろ、規模が違えど 村社会らしさはどんな集団も持っている ということです。

たとえば資本主義は一部の人(資本家)の声が大きくなりやすいシステムです。実際に力も持っていて人も動かせます。 TwitterなどのSNSも、それを作る人やレコメンドのAI、バズりやすい世俗的な記事の価値観が支配的になり得ます。 オープンさを大切にするコミュニティでも実は「中心となる人に好かれないと居心地が悪い思いをする」ような閉鎖性を持っていたりします(常にオープンな心で人と接するのは誰しも難しいものです)。

日本の閉鎖性を批判するひろゆきが、ファンに囲われた閉鎖的な村を形成していったように、どこにもそれは現れます。 極端な例ではオウム真理教サティアンや、連合赤軍の山岳ベースがありますが、その異常な状況も歴史を見れば徐々に歪んでいったことが分かります。

僕たちは案外、排他的で小さな村の中に生きています。資本主義という村、日本という村も、大きなようで実は小さく狭い価値観に左右されています。

なので、少し過激なくらいオープンで反発的なほうが良いのかもしれません。 人間の心には、閉鎖的になりたい欲求が常にあるからです。

執筆:Kiyohara Hiroki (@hirokiky)Shodoで執筆されました