Make組ブログ

Python、Webアプリや製品・サービス開発についてhirokikyが書きます。

ジャケットを着ると警戒されなくなるかも、という普通の話

ジャケットを着るようになって気づいたこと

最近、ジャケットを着るようになりました。といっても毎日ではないし、ちゃんとしたスーツというわけでもありません。ただ、打ち合わせや商談のときに、パーカーではなくツーピースのジャケットを羽織るようになっただけです。 不思議なもので、どこか相手の反応が変わった気がします。もちろん良い方向性で。という雑談です。

それまでの自分の服装スタイル

僕はこれまで、パーカーやTシャツといったラフな格好を好んでいました。自由な環境で働いているし、服装にルールがあるわけでもありません。だから、わざわざ窮屈な格好をする必要もないと思っていました。何より古き良きハッカースタイルと反骨精神を感じるので。

そしてずっと金髪です。それも、自分にとっては大切な個性の一部です。

相手の反応の変化に気づく

ジャケットを着るようになってから、ビジネス的な打ち合わせでの相手の方の態度が少し柔らかくなった気がします。とくに初回の顔合わせの際に、不快感を与えていないなという安心があります。というか、今まで気づいていなかっただけで結構相手に警戒感を与えていたのかもと感じています。僕がただ失礼なだけだったのでは。

今まで失礼しました!

最初は気のせいかと思いましたが、何度か繰り返すうちにどうやら本当にそうな気がします。これは完全にデータの話じゃないのでご勘弁を、という感じですが。

じゃあ、金髪もやめるべきなのか

ジャケットを着ることで警戒感が減るなら、他の要素も「普通」にすべきなのだろうか。金髪をやめて、もっと無難な見た目にすれば、さらに信頼されやすくなるのだろうか、という気もします。 ただ全てを画一化することへの違和感があります。個性や自己表現を失いたくないという気持ちも強い。金髪は、僕にとって自分らしさを保つために大事な気がします。

期待値とボラティリティという視点

そこで、外見戦略を確率論的に捉えてみることにしました。ビジネスでよく使われる「期待値」と「ボラティリティ」というやつです。

期待値とは、平均的な印象や信頼感の向上を指します。ジャケットを着ることで、相手に与える印象の平均値が上がる。これは間違いありません。一方で、ボラティリティとは、個性や突飛さによる振れ幅のことです。金髪のような要素は、相手によっては好意的に受け取られることもあれば、警戒されることもある。つまり、振れ幅が大きいのです。

リスクを避けるならボラティリティを下げるべきです。でもせっかくリスクを取れる境遇なら、取る選択はしたいです。 つまりパーカーは「ビジネス的文脈での相容れなさ」からボラティリティが上がるのに期待値は低く、金髪は「案外攻めてるけど清潔感はあるよな」という視点からボラティリティを爆増させつつ期待値も悪くはないということです(マイナススタートっぽさはあるので、その後の人間のキャラクターを含めてですが)。

なのでジャケットを着ることで平均的な信頼感を確保しつつ、金髪というボラティリティは取るということ。案外、効率的フロンティアなのでは(分散投資においてリスクとリターンが最適化された組み合わせを並べた線のこと)。

世の中の人たちは最適化済み

よくイメージされる人の像というのは、案外最適化されていたりします。たとえばスポーティでツーブロック、ツーピースの営業の人は快適さと信頼性、フレッシュさの最適化をした結果だったのだなと思います。とくに営業など外観や信用が重要な人は最適化されてる感じがします。

これを読んでいて「服装が自由なやつの話だな」と思われるかもしれません。僕も新卒時代、会社の近くの床屋さんで「〇〇社カットにしてください」と言わないといけなかったので分かるつもりです。が、そう考えると服装規定もある種の最適化の結果なのかなという気もします(もちろんお節介だったり、過剰だったりしますが)。

外見の最適化について考える

つまりこれは最適化問題です。様々なアイテムやファッションの方向性、清潔感やキャラクターを考えて、期待値とボラティリティと必要コストを最適化するということです。

もちろんそれは環境や状況によっても違います。僕は会社の状況などにより今回はジャケットという話をしています。価値観によっても大きく違います(僕も頑なに金髪ですし)。ただこれが最適化問題だと考えれば、案外納得しやすいなということです。

色々と僕も変わっていますが、それでいいのだと思います。変化しながら、そのときどきの最適解を探していきます。

我ながら一生思春期みたいなこと言っててすいません。

編集:Shodo Boost 校正:Shodo

データ分析では「率」で見るべきだが、絶対数のほうが伝わりがち

「率で見ろ」が常識だけど、伝わらない問題

データ分析の世界では「絶対数ではなく、率で見ろ」とよく言われます。『リーンアナリティクス』をはじめとするスタートアップやグロースハックの教科書にも、率と推移が重要と説かれています。ですが実際にビジネスの現場で数字を報告すると、比率だとどうしても伝わっていない感覚になります。

分析では正しいはずの「率」が、なぜか人に伝えるときには機能しないジレンマがあります。

データ分析の鉄則は「率で見る」。だが……

まず、なぜ「率で見る」ことが重要なのか確認しておきましょう。

スタートアップが成長を図るとき、単純に「今月のユーザー数が100人増えた」と見るだけでは不十分です。もともと1000人いたなら10%成長ですが、もともと10万人いたなら0.1%成長にすぎません。同じ「100人増」でも、意味がまったく違うわけです。

比率を使えば、規模の違いを吸収して正確に状況を把握できます。チャーンレート、月間成長率(MoM)やコンバージョン率(CVR)など、ビジネスの健全性を測る指標はほとんどが比率です。これは間違いなく正しい分析手法です。

ただし、比率を正しく理解するには分母と分子の両方を理解していることが前提 になります。ここが落とし穴になりがちです。

なぜ比率は難しいのか

比率が難しい根本的な理由は、その比率が何を意味するのかを知っている必要があるからです。比率は相対的な指標なので、基準となる知識や経験がないと、良いのか悪いのか判断できません。

前提知識がないと比率は読めない

たとえば「エンゲル係数が25%」と聞いて、あなたはどう思いますか?

エンゲル係数とは、家計の消費支出に占める食費の割合です。一般的には25%前後が標準とされていますが、これを知らない人にとっては「25%」という数字だけでは何の判断もできません(僕も今日まで知りませんでした)。

一方、「月収30万円で食費が7万5000円」と言われれば、前提知識がなくてもなんとなく「まぁそんなもんかな?」と感じられます。比率は規模感をなくして比較可能にしますが、体感的なイメージからは遠くなります(むしろそれを排除し比較可能にしているものなので当然と言えばそう)。

ビジネスでも同じです。業界の平均値や、過去の推移、競合との比較といった知識や文脈がないと、比率単体では判断材料になりません。

絶対数の「一瞬で伝わる」強さ

一方、絶対数には圧倒的な「伝わりやすさ」があります。説明不要で、規模感が一瞬で共有できるからです。

仕事をしていると、色々な立場の人に、なるべく短い時間でものごとを伝える必要があります。そんなときに定義の共有が必要な言葉や、正確だけど難しい数字をならべていては相手の時間を奪うだけになってしまいます。もちろん正確な数字や比率の分析も必要ですが、伝えるタイミングなどは考える必要があるでしょう。

売上・年収は説明がいらない

「売上1億円」と聞けば、誰でもある程度のビジネス規模をイメージできます。「年収500万円」と聞けば、その人の生活がなんとなく想像できる気になります。これらの絶対数は、前提知識がなくても理解できる共通言語として強力です。もちろん完璧に正確な理解ではありませんが、「だいたいこれくらい」という感覚を共有するには十分です。

比率のように「この業界では〜」「前年比では〜」といった補足説明は不要です。数字そのものが持つ具体性が、コミュニケーションをスムーズにしてくれます。それが正確かどうかは危ういところがありますが、そのインパクトは絶対的なものです。

とくに売上というのは強いです。投資家、銀行、従業員の皆さまに一発で規模を説明できます。こんな数字はなかなかないので、本当にすごいことです。もちろん賢い人は利益率の悪さなどを見抜いて、売上という数字の怪しさを知っていますが、とにかく短時間で誰にでも伝わるという意味で売上(や年収)は圧倒的に強い数字です。

「10万文字書く人が500人から1000人に倍増した」のインパクト

たとえば僕たちが開発しているShodoというサービスで成長を報告するとき、「月間10万文字以上書くアクティブユーザーが500人から1000人に倍増しました」と言うのと、「ヘビーユーザーのアクティブ率が100%増加しました」と言うのでは、どちらが伝わりやすいでしょうか?

これは前者のほうが具体的でインパクトがあります。「ヘビーユーザー」のような定義が必要な言葉を使っていませんし、「500人→1000人」という数字の変化は、誰が聞いても成長の実感が湧きます。比率としても「倍増」や「半減」は言葉として理解しやすいものです。

絶対数や定義の明確な言葉は、数字が持つ具体性と説得力によって、人を動かす力を持っています。プレゼンや報告の場では、この「伝わる力」を持っているかは意識したほうが良いかもしれません。

誰もが「その文脈の素人」である

ここで重要なのは、すべての人が常に完璧な理解力を持っているわけではないということです。どんなに優秀な人でも、自分の専門外の分野では素人になります。

野球のOPSと50本塁打、どっちが伝わる?

野球ファンなら「OPS(出塁率+長打率)」という指標を知っているでしょう。これは打者の総合的な攻撃力を測る優れた指標で、分析的には非常に正確です。

ですが、一般のファンに「OPS.850の選手です」と言っても、ピンとこない人が多いはずです。一方、「50本塁打を打った選手です」と言えば、野球をあまり知らない人でも「すごい選手なんだな」と理解できます(ちなみにOPS 0.85はすごいです)。

重要なのは誰だって詳しくない分野では素人ということです。相手が「知っている・伝わる前提」で進めすぎないことが大事です。

自分自身にとっても絶対数は有効

面白いことに、絶対数の「伝わりやすさ」は、他人に対してだけでなく自分自身に対しても有効です。モチベーション維持や自己認識のために、絶対数を使うという戦略があります。

打率よりヒット数のほうがやる気出る説

イチロー選手は現役時代、打率よりも「ヒット数」を重視していたと言われています。打率は試合ごとに上下しますが、ヒット数は確実に積み上がっていくからです。

打率が.300から.280に下がると、なんとなく調子が悪い気がしてしまいます。でも「今シーズン150本目のヒット」と数えていれば、積み上げの実感が得られます。絶対数は自分自身のモチベーションを維持する効果があるんです。

ビジネスでも同じです。「今月の成約率が先月より2%下がった」と見るよりも、「今月は15件成約した」と見たほうが、前向きに次の行動につなげやすいことがあります。筋トレでもベンチプレス100kgを目標にするのは分かりやすくて良いです。

「イチメーター」のような可視化の力

イチロー選手のヒット数を可視化した「イチメーター」というファンの応援がありました。これはヒット数を積み上げ式で表示することで、進捗が一目で分かるようにしたものです。

絶対数を可視化すると、達成感が生まれます。「あと5本で目標達成」といった具体的なゴールが見えることで、自分自身を励ますことができます。自己管理やモチベーション維持のためにも、あえて誇大広告っぽい数字を自分に使うのは有効です(積み上げの数字は気分が良い!)

最後に:正しさと伝わりやすさを考えること

ここまで「絶対数のほうが伝わりやすい」という話をしてきましたが、誤解してほしくないのは、比率が不要だという話ではないということです。データ分析では、比率や推移を見ることが絶対に必要です。これは原則として変わりません。規模の違いを吸収し、正確な判断をするためには、比率は欠かせません。

しかし、人を動かすには絶対数も必要です。報告やプレゼン、チーム内の共有といった場面では、絶対数のほうが理解しやすく、行動につながりやすいことが多くあります。売上という数字は強力ゆえに誇張に見える瞬間もありますが、それはその力ゆえということですね。

大切なのは、相手と目的に応じて使い分ける丁寧さです。データを分析する自分と、データを伝える相手の間には、前提知識のギャップがあります。そのギャップを埋めるために、絶対数を使うという選択肢を持っておくことです。

正しさと伝わりやすさの両方を使うこと。それがデータ分析の先に必要なスキルだと思います。

編集:Shodo Boost 校正:Shodo

34歳になりました。魔法への憧憬とAI

34歳になりました。

いつもは歌詞などを引用していますが、今日は少し話したいなと思います。
というのも、自分の伝えたい感情にピッタリ合う言葉もなく、自分の体験として今言っておきたい気分だからです。

さて、14歳のいわゆる厨二病だった僕も、そこから20年の歳を重ねたことになります。
そのころの僕はフリーゲームRPGツクールに感動していたり、テキストサイトゲームクリエイターの俺式やメタリッククローバーに憧れたりしていました。
俺式の影響で高専というものを知ったおかげで、それなりに頑張って府立高専に受かったり、プログラミングや旋盤に没頭したりできました。当時はただ何かを作っていたいと思っていたものの、具体的にどうすれば良いのか分からないこともたくさんあったように思います。

今はAIの時代と言われています。

僕としてはピュアな感動と創造性、そして憧れがその当時から続いていると思いたいですし、後に知るオープンソースからの天啓や、世界に対して何かができるという希望は捨てていません。でも、疑問を持つ必要もなくそこにあった何かがなくなった感覚があります。
それはおそらく魔法なのだと思います。人の手から生み出されたという、自分にもおそらく手に入るだろうが、その道筋すら分からない魔法への憧憬のようなものです。いえ、僕としてはその憧憬をまだ持っているのかもしれませんが、少なくともこの世から何かを生み出すことに対する畏怖や信仰がほんの少し廃れたのだと思います。疑問を持たずとも共有できたはずの感動や、魔法と神への畏敬の念がなくなったことが、とても悲しい。だって僕はそれが好きだったから。

が、その俺式のTatsuya Koyamaさんは今日も曲を作っていました。いつもながら絵を描いて、ゲームを作っていました。

たしかに世界から畏敬の念は失われたのかもしれません。ですが僕の憧れた人はそのままの人でしたし、僕も何も変わらず楽しく何かを作っているのが良いのかもしれません。僕はまだ憧憬を持ち続けても良いようです。

過去分

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執筆:@hirokiky
Shodoで執筆されました

起業して5年が経ちました。起業する前に学ぶことは?への回答

2020年8月3日に株式会社ゼンプロダクツを起業してから5年が経ちました。

僕にとって初めての起業であり、AI校正Shodo(https://shodo.ink/)というサービスのみで事業を続けてきました。

長くね?

いえ、本当にありがとうございます。

皆さまのおかげで事業を継続できています。
最近は生成AIによる高度な校正にも対応するなど、良いプロダクト開発ができていると思います。

起業やプロダクト開発のノウハウが貯まりに貯まっており、たくさん伝えたいことがあるのですが、事業をリアルタイムにやっている身としては言いにくい感覚もあります。語ってないで結果で示せよ、的な話はありますし、まだまだ発展途上の段階で偉そうに語るのもどうかと思うからです。とはいえ自分のメモや記憶の整理のためにも考えたことは残していこうかなとこの区切りに考えています。

ではまず「起業する前に何をしたら良いか?」という質問にだけ答えます。ものすごく聞かれるので。

起業する前に何を学ぶべきか?

会計です。

なぜなら会社や資本主義というのが会計をベースに動いているからです。考え方としても優れたものですし、会社を運営していくなかで必要になります。
いわばこの資本主義という壮大なゲームの基本システムみたいなものです。ゲームに勝つ方法は学べませんが、ルールやシステムは知る必要がありますよね。

BS、PL、複式簿記が理解できているくらいで良いので資格とかは必須ではありません。
ただ、その会計的な考え方は会社運営の根幹になりますし、銀行や投資家の方と話すときにも必要となります。

起業の準備として何が必要か?

仮説検証です。

売れるレベルで必要・欲しいものというのは、かなり希少で作るのが難しいです。なので高い確率で売れる、使い続けてもらえるものの仮説検証を済ませておくと随分楽になります。

多くの人は会社にすればすべて解決するように考えてしまいますが、結局のところ良いプロダクトであるかどうかと会社はあまり関係がありません。良いプロダクトにしていくためにはデータ分析などもすごく大事になってきますし、センス的なところも求められます。でもそれと起業するかどうかはあまり関係ないです(もちろん広報時のインパクトや導入時の安心感などはありますが、そもそも要らないものは誰も買わない)。

以上です

今回は以上です。

もっと掘り下げて色々話せそうですし、他にも読むべきだと思っている本や、プロダクト開発の考え方のようなものがあります。
まぁ、これについては少しずつ書いていけると良いかなと思っています。

もちろんプロダクトとしてもどんどん良いものを作っていきたいと思います!

たとえば…

こういうものとか
これからもよろしくお願いします!

shodo.ink

執筆:@hirokiky
Shodoで執筆されました

DjangoCongress JP 2025でおきた偶然の成功

こんにちは。

DjangoCongress JP 2025を主催したのでそのお話しです。個人的にすごいなと思うことがたくさん起きたので、それを書きたいと思います。僕としても学びが多かったので、残しておきたいです。

今回のこの記事は僕が主催をしたときにあったことや裏側で起きたことなどを主に共有したいと思います。各トークについてはぜひ配信の動画を見てください。

オンライン開催、海外からの登壇、同時翻訳

イベントとして今回の目玉としてはオンライン開催で、同時翻訳があるということじゃないでしょうか。
平たく言うとこれが最高で、日本、海外の方が7人ずつ登壇ということでグローバルなイベントにできました。

Djangoの本家であるDSF(DjangoSoftwareFoundation)の方にも登壇していただいて、今までにない新しい繋がりも生まれました。また同時翻訳のおかげで海外の方も日本語のトークを見たり、日本人も英語のトークを見るハードルが下がったりと良いことずくめでした。

負け戦からのスタート

この3段活用(オンライン開催、日本海外両方の登壇、同時翻訳で皆んなハッピー)が最高すぎたのですが、実は偶然の産物でした。

まず会場が見つからない。

というのもDjangoCongress JPは基本的にお財布がほぼない状態なので、会場はどこかにお借りするしかありません。ですがなかなか見つからず、結局オンライン開催となりました。また日程的にもスタッフの忙しさとライフイベントが重なっており、良い時期での開催が難しかったのですが、オンラインの場合は融通が効くわけですね。

そんなわけでなかば消極的にオンライン開催を選択しました。

DSFのメンバーになる

そんなときDjangoCongress JPがDSFの個人メンバーにノミネートされました。ボードメンバーのSarahさんがDjangoCongress JPと繋がりを持ってくれ、よければ興味があるスタッフも個人メンバーにならないか?とご提案いただきました。

このDSF個人メンバーというのはDSFの活動への投票権があり、ボードメンバーやDjangoの機能的な意思決定をするメンバーの選出が可能です。他にもDSFメンバーのフォーラム等に参加でき、直接DSFの中の人とやり取りできるというものです。実際にすでにボードメンバーと、SteeringCouncilの投票はやりました。

このメンバーになったことで生まれた繋がりもあり、DSFの方がDjangoCongress JPのことを宣伝してくれました。フォーラムで登壇者がいないか声をかけたり、Djangoの公式アカウントで告知したりしてくれたのです。しかも、なんと今年はオンライン開催。そんなおかげもあって海外からの登壇者が増え、DSFボードメンバーの登壇もあったということです。

本当にいつもありがとうSarah……!

同時翻訳を入れる

さらにそんな折、一緒にずっとやっているtokibito先生からある提案があります。それは「同時文字起こし、同時通訳を入れないか」というものです。たまたまMinutzという同時翻訳サービスを開発中なので、それを無料で使ってみてほしいとのことでした。

正直言うと僕は最初あまり期待はしていませんでした。こういうのは大抵、文字起こしの精度が悪く、リアルタイム翻訳の精度が低くてうまくいかないことが多いからです。トラブルも起こりやすいイメージがありました。でも練習として試したときにびっくりしました。

は? この翻訳精度ならいけますよ絶対。

というレベル。結果はもう配信で見ていただいたかもしれませんが、とにかく簡単に使えて、文字起こしも翻訳も絶対に満足していただけるクオリティーで最高でした。

配信画面を試作して勝利を確信するワイとtokibito:

配信テストの画面
https://x.com/hirokiky/status/1886038037051965732

配信でこのことを言いまくると癒着臭くなるのであんまり言わなかったのですが、今は個人の感想として言っておきます。Minutzの開発者の皆さん、最高です。

obot-ai.com

なんかすごくうまくいった

というわけでこの負け戦からの選択がものすごくうまくいったということです。

  • オンライン開催
  • 日本、海外が半数ずつ
  • 同時翻訳あり

いやもうこれ国際カンファレンスですよ。個人的なポイントは海外の方も日本のトークを見てくれていたことです。嬉しかった。

この成功を見ると、何だか代表の僕がすごく敏腕ぶりを発揮したように見えがちですが、実際のところはSarahの協力やtokibito先生の提案と尽力によるところが大きいです。この記事でその誤解を解いておきます。あとOBSでの配信に慣れたスタッフが私含めて3人(僕、homataさん、peacockさんの3人が)いたことや、PublicViewing会場をほとんどやってくれたAyakoさんharakazuさんのおかげでもあります。harakazuさんはWebの更新もほとんどやってくれましたし、YNZさんは速攻で参加者アンケートを作ってくれました。ちなみにトークの選考は例年どおり僕、tokibito、jbkingが中心になって行いました。まじで皆んないつもありがとうございます。

偶然うまくいったのはなぜか

今回のイベント運営で僕が得たのは、成功は偶然の産物であり人のおかげという実感です。

僕は個人的に事業家でもありますし、PyQやShodoをやってきましたが、物事は成功させなきゃいけないと思いがちです。というか成功させないとダメです。でも実際のところ1人の人間にコントロールできることなんて少なくて、偶然と人の協力が重なったときにうまくいくことが多いんじゃないかと感じました。二律背反してるようですが、矛盾してないということです。

今回のポイントは負け戦だったことだったのかもしれません。おかげでいつもと違うことをしたり、幅の効きやすい選択を取ったり、人の協力に全力で乗っかったりできました。普段の僕はわりと完成のイメージが最初からあるタイプですので、こうやれば良いというのを自分で持って進めがちです。今回はスタッフはもちろん、それ以外にも色んな人に助けられた感じがします。ありがとうございました。

論理的にまとめるとあんまり読んでほしくないですし、変な切り抜き方をしてほしくないことになりそうです。実際、人の努力と協力を無下にする感覚があるので好んでいないです。ただ僕の中にあるエモーショナルな実感を冷徹かつ論理的にまとめると、 人に乗っかる・案をもらうことでボラティリティや幅を最大化できる、信頼できる人に任せたり頑張ったりすることでリスク・リターンが釣り合う、あとは運とタイミング、というポートフォリオ最適化的な考えが違いかもしれません。とくに人に任せるのが苦手な人は、逆にこう考えることで、人に任せる意味を理解しやすいと思います。ただこういった分析は全くの無意味で、前者のような実感にこそ意味があると僕は思います。

やっぱり楽しんで自分で何かをやろうとすることが大事ではないですかね。そこに人が集まってくれて偶然うまくいく。皆んなハッピー。そんな単純な話で良いんじゃないですかね。

おわりに

平たく言って最高のイベントになりました。まじで関わってくれた方のおかげなので、ちょっとでも助けたかなと思う皆さんは誇りに思ってください。

ありがとうございました。
まじで楽しかったです!

当日の配信はこちら

ROOM1

www.youtube.com

ROOM2

www.youtube.com

執筆:@hirokiky
Shodoで執筆されました

7年くらい同じような服を着ていたけどもう色々とよく分からなくなってきた

ここまでくるとどうすれば良いか分からなくなってる。

何がか?

それは服というものへの感覚自体がである。僕は裸なのかもしれない(?)。

今の服装

マイナーアップデートを経て結局同じ服を着ている。むしろ近年は許容範囲のブレが小さくなってすらいる。

今はこんなスタイルでだいたい過ごしている:

  • Tシャツ:ヘインズビーフィークルーネック黒(Lサイズ)
  • パーカー:HUFやチャンピオンの黒
  • ジーンズ:リーバイス541
  • アンダーウェア:グンゼとかの安い黒のやつ
  • MLBキャップ
  • 靴:AJ1かサンダル

僕に会った人なら分かると思う。間違いなくその服だから。TシャツはPRO CLUBが良いけどタグがないのが良いからヘインズ着がちなんです。

何だか量産安上がりストリートファッション型の郊外のオッサンのようであるが、そうなっている。ワイシャツもジャケットもほぼ着なくなっている。むしろ近年悪化している(いやこの試みに忠実という点ではより良くなっているのか)。

リーバイスは年末とかのセール時に買うと安いと気づき、ここ数年はEDWINから鞍替えしている。パーカーはチャンピオンが何だかんだしっくりくるので、変にかっこつけたブランドのやつより妙に落ち着く。最近は筋トレをするせいで体が大きくなってしまったので、カッチリしたものよりルーズなもののほうが良くなっている(体型がすぐ変わるので)。

もう何年経ったっけ……

この試みを始めたのは何年前だったか、とエルシャダイみたいになっている。2022年時点で4年間同じような服だったと書いて、その時点でもうやめようみたいなエンディングを書いたつもりだったけど、そこからもう3年経ってしまった。つまり7年近くヘインズのTシャツとジーパン、パーカーという出で立ちで生きている。やばい。いや、Tシャツに大人っぽいジャケットの時期もあったけどね、起業したときとかさ。

とはいえもうやめるタイミングもないし、やめるという気持ちもなくなってきた。「やめる…?」というくらい。イデオロギーを失って習慣と繰り返しのみが残った何かになっている。

いうても実際のところ今の状態はかなり気持ち的には最高に近くて、上記したセットは本当に一番良いと思っている。

まぁ記念にというか、Dickiesのワークパンツを買ってみた。今まさにね。僕からすればこれは冒険で、トムソーヤが墓場にコッソリ行くときくらい小規模なようで大きな冒険である。かわいいね。

おしゃれなのか?

おしゃれではない。

だけどこれをおしゃれの一つと呼んでくれるなら、そうとうやり込んではいる。

こんな服に興味がなさそうな僕だけど、案外興味は持っている。GQ Japanだとかアンソニーのスキーカーの動画とかは見てしまう。ただまとまりとして服を見たときに「これは気に入らないな」という感覚がどうしてもでてしまい、今の安定状態を享受している。今の状態は本当に美しいとさえ思っている。やっぱりイデアっぽいのが安心するのだろうか。古着屋とか行ったら死ぬんじゃないかな(同じものが手に入らないので)。

お金も無限にあって着たいものを着れば良いと言われると、たぶん今の状態に近くなると思う(さすがにパンツはグンゼからカルバンクラインになるかもしれないが)。それくらい安定はしている。

だが待ってほしい、機械学習の分野では局所最適や過学習が一番おそれられる。自分は過学習しているのではないか?たぶんしている。

さらに感じるのがもう30歳を過ぎてそこそこ経って、今の状態は良いのか、ということだ。そう考えるとさっき言ったワークパンツもだいぶやばい。もうUnited Arrowsやラルフローレンで良い感じのチノを買う歳なのだ。

精神性の分析

自分の精神性と葛藤を考えると、おそらくこのあたりかもしれない:

  • ファッションという文脈を妙に気にしている、ゆえにイデア
  • 反骨精神やアナキスト精神からハイソっぽいのはたぶん無理

逆に言えば、もう成人したいい大人が他人のファッションや他人から見た自分の服、年齢などを気にしてとやかくしているのがおかしな話である。逆説的に思春期真っ盛りである。

おわりに

いや、おわらない。まだ続いている。

とはいえもう自分の中ではすべて終わっているのに、なぜかまだ続いている、という状態である。
でもまぁ、今の自分の服はかなり好きだし快適なので、これで良いのかもしれない。
この報告すら必要ないほどに。

執筆:@hirokiky
Shodoで執筆されました

1ヶ月に22本ブログ記事を書いて気づいたこと

正確にはまだ21.05本くらいで、今もその数値が少しずつ増えています。

さて AI校正Shodoアドベントカレンダーをやろうと思い立ったのは11月の中旬ごろでしたが、目的としてはもちろんマーケティング的な意味合いもありつつ、ドッグフーディング的な意義もありました。「大量にブログ記事を書いたときにどうなるのだろう?」と試すことです。

その結果、今さらながらブログを書くことについて色々と気づいたのでそれを残したいと思います。というよりも、今の時代だからこそ新しく気づけたことがありました。

気づいた:もっと小さい記事をたくさん書いても良い

なぜか「記事を書く」という感覚が重くなり、書くとなると妙に重厚な文章(もはやドキュメント)が完成する経験はないでしょうか。あれはもうやめちゃって、ショート動画感覚で読める軽い記事を書いたほうが、気持ちが楽なので良いと気づきました。

最近はQiitaの記事やZennの記事もしっかりと書かれたものが多く、書籍化するものも多くあります。昔の世の中は本当に雑なメモも多かったように思いますが、最近は「ちゃんと正しく網羅的でないと」という感覚があります。

ですがそうなるとどうしても書く気が起きにくい。それはもったいないわけですね。そこで軽めの記事を書いて、必要ならトピックごとに分割して連載するような形にすれば良いわけです。今回もOptuna Neuronに関する紹介と注意点(とあるバグ回避的な話)を分けましたが、自分の中で区切りもついて良かったと思います。

別にこれはマーケティングの数値的な意味があるというわけでなく、体感として気軽に書き始められるからというだけです。

気づいた:SNSでバズりたいと思わない

SNSでバズる必要も妙に意識する必要もない、そう思うと楽です。もちろん読み手への配慮や炎上しないよう気をつける必要はありますが、よしバズってやろうと書く必要はないということです。宣伝目的でキッチリ狙った記事を書いたり、時事ネタに突っ込むのが必要なときもありますが、基本的な備忘録や紹介などでわざわざ「いいね数」にとらわれる必要はないのかもしれません。

というのも今回、記事を書いていることや、特定の記事については読んでほしいような人からの反応が得られたからです。間違いも指摘してもらえましたし、自分なりに身近な人に伝えられて、自分も勉強になったので良かったなという話です。最近は絵にしろ文章にしろ、表現はすべて万人に受けてバズらなきゃいけない感覚がありますが、それはSNSを運営する人間の思惑なのかもしれません。

気づいた:リモートワークだから「書く脳」を鍛えておく

文章をたくさん書いていると、「書く脳」が動くのか書いていて苦じゃなくなります。先日、社内用のEsaに調べたことのまとめをしたのですが、公開できるレベルの記事を一発で書けた自分に驚きました(これが…力か…的な)。

リモートワークの是非について議論される昨今ですが、たしかにオンラインではコミュニケーションが難しいものです。そのときに単にSlackで会話したり、Zoomをつなぐのではなく、ドキュメントやタスクの説明としてちゃんとまとめるのが重要だと思います。そのときにこういった「書く脳」、書くことが苦ではない状態を持っておきたいものです。そうすれば自分も無理なくできますし、正確かつ無駄なく伝えられるはずです。

ブログを書く意味はあるのか?

ChatGPTに聞けば何でも回答を得られる時代ですが、だからこそ自分の言葉で書く意義が出てきます。たとえば伝えたいことであったり、自分で残しておきたいことだったり、ChatGPTの回答がイマイチだったりしたことは残す意味があると思います。要するに「情報として残す」というより「(未来の自分を含めて)伝えたいこととして残す」ということです。作品、とまではいかないですが。

ChatGPTなどのAIが成長してくると、人にとって重要なのは「その人である」ことだと思います。その人の触れたことを通しての作品であったり、その人の中にある世界観や生の人間としての何かです。僕はAIの会社をやっていますが、目的としては人間の創造・想像する力を引き出すことであり、それ以外の雑多なことをなくすことと決めています。最後は人の言葉や手によってしか人はケアされないのかもなと思っています。

だからこそ、もう少し気軽に記事を書いても良いんだなと思いました。

おわりに

くぅ~疲れましたw これにて完結です!

皆さま良いお年を。

qiita.com

執筆:@hirokiky
Shodoで執筆されました