Make組ブログ

Python、Webアプリや製品・サービス開発についてhirokikyが書きます。

名を売るには人類はアホすぎる

人間は名を売りたいと思うものの、人間の脳を考えるとその席は少すぎるし消えていくという話です。

人生があるのなら、自分の存在価値を最大限大きくしたい、と思うのは野心のある人なら自然なことに思います。誰かに自分の名や存在を知ってほしいという感情は誰の中にもあって、とくにクリエイターや起業家、エンジニアであれば持つことを推奨されるまであるものです。

でも最近僕が思うのは、人類の脳の容積に対して「知ってほしい人」の数が多すぎるということです。これはある意味で需要と供給と言えるかもしれません。存在を知ってほしい人間の数が需要であり、人が認知・記憶できる存在の総量が供給ということで、需要に対して供給が追いついていない状況と感じるということです。

僕も本を出したり、登壇したり、自分が作ったサービスをビジネスにしたりとなかなか幸運な人生を歩ませてもらっています。ですが一歩外に出たり、違うコミュニティに参加すれば全く知られてはいないものです。それは著名人にとっても同じで、ナーシャ・ジベリという偉人レベルのプログラマーもほとんどの人は知らないでしょう。僕もあなたもクリケットの神様であるサチン・テンドルカールのことは全く知らないと思いますし、イギリスの人は大谷翔平をたぶん知らないでしょう。ひろゆきは今、日本で有名ですが、数年前まではオタクしか知りませんでしたし、数年後には大抵の人が忘れるでしょう。

もちろん「何か世界に変化を起こせるんだ」という感覚と希望は重要ですし、それは事実です。ですがここで言いたいのは、そんな存在すら人々の記憶には無限に残らないということです。世界に爪あとは残せるかもしれませんが、その存在の広まりには限界があり、記憶からは薄れていってしまいます。人間の脳の物質的な容量と、動物の性質としての興味・関心の量が決まっているのでこうならざるを得ません。遡って考えてみると、僕たちが憧れた存在というのも、どうやら僕が思うほど周りは熱狂的に思っていないということです。スティーブ・ジョブズは宇宙に穴を開けた存在ですし尊敬していますが、今の若い人たちはあんまり知らないようです(イーロン・マスクのほうが知られているっぽい。悲しい)。もちろんジョブズ大谷翔平というレベルになれれば幸せなことですが、そもそもそうなる確率を夢見るのはあまりに残酷ですし、時代背景や遺伝、運も大いに関係します。

たとえば僕を起業家と呼んでみましょう。仮に会社が上場すれば「世界を変えた」という感覚は味わえるかもしれません。ですが2023年に上場した企業の名前を1つでも知っているでしょうか。まして創業者の名前を知っているでしょうか(僕は知りません)。残念ながら、僕たち起業家が夢見る未来というのも、僕たち起業家にとってすらどうでも良いものなんですね。もちろんそれを機に起業家セミナーに呼ばれたり、Abemaの討論番組にでも出れば認知されていくでしょう。でも安部敏樹と肩を並べWikipediaにページができても、安部敏樹ですら大多数にとっては「見たことはあるかも」という世界です。

人間の脳の限界と、脳が得たい認知を考えると小さな村を想定せざるを得ません。小さな村ではすべての人間がお互いをよく知っています。お互いの存在を大切に思い、受容しています。死んだあとも先祖として知ってくれるかもしれません。それはやっぱり狭い世界で密に交流するからこそ生まれるものです。僕も近所で子どもの存在を通して「〇〇ちゃんのパパ」と認知されていますし、一緒に食事に行ったりもします。

こう考えると僕のような野心家が最も嫌う「地元では有名なやつ」タイプこそが幸せに生きる方法なのかもと思ってしまいます。というよりも、どんな有名人もあるグループに認知された「地元では有名なやつ」でしかないという結論です。起業家・テックコミュニティにしろセレブにしろ、結局は「ある分野で認知されている人」という域は絶対に出られないのでしょう。なぜならその人達を認識したり、尊敬したりする人たちが共通の特徴をもつ集団だからです。本当に普遍的に知られているのはキリストとコカコーラくらいじゃないでしょうか。

昔、母が言っていました「どこぞの社長や工場の偉いさんやろうがパチンコ屋にきたらただのオッサンや」。これはこの話の本質をつく言葉です。僕の生まれ育った地域は工場などがたくさんあったので、工場の社長や偉いさんなどもパチンコ屋に行くわけですね。そこで周りの人なども妙に気を遣ったりするわけですが、パチンコ屋にきた以上そんなことは関係ない(従業員でもない限り)という話です。Awitchの「てか、お前誰?」に並ぶパンチラインだと思います。逆に言えば僕たちはよく分かってもいないのに「すごいらしい」で反応的に評価すること(ハロー効果)をやめるべきなんでしょう。

まとめると有名になりたいと思っても「その界隈では有名な人」の域はほぼ脱出できないということです。人間の記憶や興味の量には限界があるので、「ある特徴をもった集団に知ってもらう」のが限界だろうということでした。逆に言えば皆んなキリストやコカコーラにはなれないので「知ってる人が知ってる人」になって幸福を感じれば良いですし、興味のない相手には「お前誰」と言ってやれば良いのでしょう。

絶望と安寧が入りまじった悟りになりましたが、「それでもやりたい内在する何か」こそが大事なことなのかもしれません。

執筆:清原 弘貴 (@hirokiky)
Shodoで執筆されました