Make組ブログ

Python、Webアプリや製品・サービス開発についてhirokikyが書きます。

デジタル世界は魂ゆえに残酷だよねって話

雑談です。

VRChatの世界でよく「最終的に魂が大事」という話になります。

デジタルの世界では自分が好きな姿になれるので、逆説的に魂(つまり中の人の考え方や面白さ)が重要になってくるというわけです。これはVRでないSNSでも似たようなもので、アイコンを絵にしたり加工した写真にすればいくらでも自分の姿を演出できちゃいます(とくにAIの時代はよりそうなるはず)。そうすると理想的っぽくて残酷なもので、「で?あなたは何が面白いの?」という身も蓋もない現実がやってくるわけです。

人間はどうしても「何者かになろうとする」ものだと思いますが、それがより残酷な形で現れてしまう気がしています。でも性格は変えようもないですし、対人スキルや絵を描くなどの技術を伸ばすのは大変です。そこで思想や「私はこういう人である」という宣言をしがちなのかなと思います。

記事の結論から言うと、「リアルに帰れ」のようなことは今さら言えない世の中で、どうしましょうね?という何とも歯切れの悪い話です。手垢の付いた話題でもあります。

それを認めざるを得ない

「私はこうだ」というのは、他から証明しなくても正義なので一番簡易です。「いや急に言うなよ」と言われても「もともとそう思っていた」、「自分でも気づいていなかった」と言えば済みますので証明しようがありません。もちろん本当にそういうケースもたくさんありますし、僕自身にも皆さんに言っていないことはあります。でもその証明できない点やセンシティブな点を隠れ蓑にして、無意識が思想という自己主張を求めている気がします。

重要なのは人類の無意識下でそれが起こっているってことです。

別に僕は否定したいわけでもないですし、本当に思いを打ち明けた人を小バカにしてしまう論調も良くないと思います。ですがいい加減「そういう現実があるよね」というのは皆んなで認めたほうが良いと思います。つまり「デジタルの世界は露骨に人間的(キャラクター的)な面白さを問われるし、人間は何者かになり認められたいと思っているし、無意識が思想や考え方という楽な方法でそれを実現しがち」ということです。ましてその思想が正しいと言われていて、時代に即したものであればなおさらです。思想といっても特別な信条だけでなく、よくあるMBTI性格診断の結果をSNSに共有するのもその一部なのかなと感じています。

つまり、私はこうである!という何かが、デジタルでは求められすぎているということです。

リアルの世界にはファッションや暮らしがある

そもそも人が無意識に何かを身につけたり、人から認められたいと思うのは自然なことです。それを否定すると有史以前の壁画から否定することになりそうです。

今までのリアルな世界ではファッションや所属によりそれが満たされていたように感じます。たとえば自分の好きな服を着れば、リアルの世界であれば自分らしさの主張に役立ってくれます。僕たち自身が「自己主張に役立てよう!」と思ったわけではなく、深層心理がそれを求め、知らないうちにそれを実感しているということですね。カッコいい時計や車なんていう古臭く感じるものが昔支持されていたのは、人々にはリアルしかなかったからなんでしょうね。だって、SNSに上げたいなら車なんてコスパが悪すぎます。200万円以上するのに、新鮮な投稿は1回しかできません。

他にも家族や地域社会みたいな帰属するものがあれば、そこで自分の重要さを感じられます。子どもがいれば誰だって特別になれます(僕にとっても何気なく興味ももたれない人間である僕の親が特別なわけですし)。

でもデジタルにそれらは持ち込めません。誰だって特別になれる安直なリアルでねっとりした何かは、ネットには持ち込めないわけです。

でもリアルに帰れって話したくない

こういう話をすると「リアルに帰れ」みたいな論調になります。でもぶっちゃけ無理じゃないですか?たとえば仕事のコミュニケーションすらSlackなどのチャットが中心になっているわけで、そこにもデジタルな自分は不可避な存在なわけです。ゲームをするにもネットが中心ですし、そこにはアカウントがあり、そのアカウントを中心としたコミュニティが生まれていきます。

いや、そういったSNSとはうまく付き合い、筋トレや丁寧な暮らし、リアルの交友関係を大切にしよう!みたいな結論にするのも嫌なんです。このネットで生きるときに、何を持って自分と感じ、そこに安心できるんでしょうか。デジタルネイティブな時代に、それを用意しておく必要を感じています。

少なくとも今のSNSを中心に自分を置くとかなり精神的に良くないです(皆んな分かってるとは思いますが)。「じゃぁあなたの好きなVRだって話ですか?」というとそうでもなくて、VRChatの住民もどこかしら病んでいたり、むしろこういった問題をこじらせてるきらいがあります。

じゃぁどうしましょうか?

知らんわ…。

いえ、要はこういうことです。

  1. 人間性などに関せず手に入る
  2. 個人の才能や研鑽を必要としない
  3. 金を払う難しさや参加する手間は要求してくる
  4. 自己主張ができたり、帰属を感じられたり、所有欲を満たす

そういうもの・ことがあると良いわけです。

でもNFT、VRやAIでも解決にはなってないので難しいですが、これからもっとデジタルネイティブな世代が増える中でそういった拠り所は必要ではないでしょうか。まぁ現状、自分を俯瞰してファッション的に思想を身に着けたり主張したり、SNSの世界が中心になって時間と脳のリソースを無駄にするのをやめよう、としか帰着しませんが。

この問題はもう少し考えたいです。

いや、こうやってこの記事を書いている行為そのものもデジタル・ネット社会における自己と思想の主張なのかもしれません。

気づいてしまったか。

執筆:Kiyohara Hiroki (@hirokiky)
Shodoで執筆されました