Make組ブログ

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なぜ食べ物を残してはいけないのに積読をするのだろう?

「食べ物を粗末にしてはいけない」と言われても、それを疑う人はいないと思います。 幼少期から全日本人が教えられていることだと思います。強制力の違いはあれど、誰しも教えられたことだと思います。 ですが、粗末にしてはいけないのは食べ物だけでしょうか?何か、この常識には偏りを感じています。

食べ物を粗末にしてはいけないのは、もちろん僕も同意です。命をいただく気持ちが大事だと思います。 ですが、なぜ食べ物についてだけなんでしょうか。俗に言う「積読」なんかも、すごく「粗末」にしていると言えるのではないでしょうか。 例えばその本を印刷するための木材や、運搬するためのガソリン、人件費、販売にかかるコストや書籍サイトの運営費などを粗末にしてると言えます。

「食べ物は命をいただいているが、他はそうじゃないからだ」と言い切れるでしょうか? 本や衣類も、木材や綿、動物の革という直接的な物質や命をいただいています。何らかのサービスについても他人の人生をいただいています。その他人の人生には、その人の食べているお肉や野菜も含まれていると僕は思います。

  • 「食べ物は残せないが、他は残せる」: 機会や知識というものも期限はあると思います
  • 「食べ物は無ければ死んでしまうものだが、他はそうじゃない」: 衣服や本がなくて生きていけるでしょうか。同様に大切だと思います
  • 「食べ物は他の人に渡せないからだ」: これは一理あると思います。ですが人からの好意やサービスは渡せませんし、死蔵してそのまま捨てられるものもあるでしょう

ちなみに僕は気にせず積読をしています。でも誰もそれで僕を怒らないのは、それが僕の本だからです。なぜ食べ物についてはとやかく言われたり、言ったりするのでしょう。

考えを広げれば、人の好意を無下にしたり、話をちゃんと聞かなかったり、機会を無駄にしたり、大切な時間を真剣に取り組まなかったり、無駄にしているものはたくさんあります。 それも同じことと考えられます。他人の人生や、その人の食べた命を間接的にいただいているものだと思います。雑に扱われがちですが、サービスを受け取るのも命を受け取ることだと思います。

「食べ物を粗末にしてはいけない」「残してはいけない」、それは確かにそうだと思います。 でも、それと同じようにサービスや親切心、それ以外のものについても大切にしないといけないんじゃないでしょうか。そして十分な対価を払うべきではないでしょうか。 同時に、そこまで強迫的に「食べものを残してはいけない」と思わなくて良いんじゃないでしょうか。 それは単なる呪いだと思います。もちろん大切にいただくべきものですが、それ以外にも粗末にしてるものやサービスを見直しても良いんじゃないでしょうか。