Make組ブログ

Python、Webアプリや製品・サービス開発についてhirokikyが書きます。

歳とともにコンテンツからの衝撃や感動が減ってきた?という話

雑記です。

最近はFANBOXにこういうことを書きがちですが、たまにはブログでも書こうと思います。 単なる思ったことの記事なので、ふーんとか、そういう気持ちで読んでください。

コンテンツからの衝撃

何というか最近、新しいコンテンツを摂取しても 「うわ!これは衝撃的だ」と思うことが減りました。これはコンテンツ批判などでなく、慣れや飽き、そして案外SNS依存のようなものが原因だと思われます。

どういうことでしょうか。

価値観が揺さぶられるというか、自分の人間全部で向かい合う体験が日に日に減っているということです。たとえば僕にとってはアニメエヴァバック・トゥ・ザ・フューチャーは人生の根本にあります。最近だと「人間の土地」というエッセイなどがそういう作品でしたが、そういった作品に出会う数がだんだん減っている気がします。

皆さんにも覚えはないでしょうか。

良く言えば価値観が定まってきた

ただ最近は新しい何かを見ても「あぁ、どこどこで見たあの感じね」と勝手に納得してしまいがちです。もちろん今でもメイドインアビスにはワクワクしますし衝撃を得ますが、そういう衝撃を与える何かは歳を重ねるごとに少なくなっています。

楽しんだり、ファンとして追いかけたりもできるのですが、「うわ!」と自分を揺さぶられることが減っています。むしろ揺さぶられないように見ようとしている節も自分に感じるのです。消化することや何か言おうとすることを考えていて、全力で見てないんですね。

良く言ってしまえば価値観が定まってきたという感じです。何とも30歳らしい悩みですね。この悩みすらも青臭く感じるときがくるのかもしれません。ただやはりそれに危機感を覚えるとともに、これが行き過ぎると何も楽しめなくなるのではという恐怖すらあります。

もちろんいつだって初心に帰ることは今すぐできます。ですがどうも自分にある引き出しに照らし合わせてしまうことが増えています。

深く潜る気持ちが減ったのはなぜ

もう一つ別の視点でいうと、深く作品に潜る体験を自ら避けているような気がします。

年齢的な問題や仕事、子育ての忙しさもありますが、それ以上にネットというものが受動的かつ刺激的になりすぎて、能動的なダイビングが難しくなっている感覚もあります。特にここ数年で国際社会や日常が不安定化したこともあってか、どことなく「何かが定まっていない感覚」があります。ニュースをどうしても追いかけてしまったり、受動的で「軽い」コンテンツになびきがちです。

要するにSNS依存症になっているということです。

陰謀論っぽくわざと言うと、僕たちの脳は知らず知らずのうちに疲弊させられていて、受動的になるようにTwitterYouTubeのAIに支配されているのかもしれません。これは極端な言い方ですが、SNSやニュースを1週間見ないという生活はもはや無理になっていると思います。

何というかその感覚のせいで、自分の深い部分と対話しながら作品にも触れられていない気がします。 前述したようにそもそも心ここにあらずで作品を見ていたり、「後でこう言おう」と考えながらコンテンツに触れている気もします。

まさに、今のあなたもそうだったりしませんか?

答えは分からないが

これは答えを求める記事ではないので、結論は用意できていません。

おそらく原因は複合的なものであり、社会情勢や育児の忙しさ、会社経営の大変さなど僕の中にも色々あると思います。でもそれで諦めてしまうのは少し寂しい気持ちがします。

改善する方針としてはこんなところでしょうか:

  • コンテンツの消費や消化、レビューでなく体験を重視する
  • SNSを眺める時間を減らして脳のスペースを空ける
  • 自分の引き出しは置いておいてなるべく純粋に全力で見る

この答えはちょっと安直かもしれません。

ともあれまずニュースに反応してしまうのが、自分を顧みても良くない気がしています。また、コンテンツの消化や今の価値観で考えることに意識が向いていて、その体験を軽視している(勝手に納得したり批判的に見る癖が付いている)傾向もありそうです。

意識していかないとできない気もしますね。 ふと思ったのですが、VRが良いのはスマホをイジれないことなのかもしれません。

もし皆さんのおすすめしたい作品があれば、ぜひ教えてください。 僕からは「コンテナ物語」、「竜の卵」あたりをおすすめしておきます。

執筆:Kiyohara Hiroki (@hirokiky)Shodoで執筆されました