Make組ブログ

Python、Webサービスや製品開発、ライブラリー開発についてhirokikyが書きます

会話の深さと人数、コミュニケーションが苦手とは何か

会話の深さと、その会話ができる人数規模、一度に集まったときにどの深さまで話せるかと考えてみました。 たとえばコミュニティの集まりや飲み会、ビジネス上の会話や友人との会話、または配偶者の会話をする中で考えていたことです。

免責

この内容は誰かを批判するためや優劣を競うためのものではないとお伝えしておきます。 僕自身の考えた分類を紹介したいという気持ちと、悩みなんて持たなくていいんじゃないかという気持ちの共有です。

また、歴史の中で誰かがこれと似た、または同じものを語っていたとしても、とくにどうでも良いと思っています。 僕の考え方は今まで読んだ本の影響がありますので、その影響が入っているか、単に知らないだけです。 小学生がピタゴラスの定理を発見することもありますし、そういうものだと思ってください。

会話のレイヤー

考えを文字で伝えるのが大変だったので絵にしてみました。 この絵は下にいくほど「より少ない人と」、「より心に近い深い」会話ができるという構図です。 図の右には具体的にはどういった内容があるのかの例を書いています。

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上にいくほど「口」で話す部分で、下にいくほど「気持ち」で話す部分なのかなとも思います。

あいさつ

単純なあいさつから、社交辞令的な会話、天気の話などがここに含まれます。 この会話ができる相手はおおよそ無限にいます。一度に数十人が円卓を囲んでもこのレイヤーの会話はやりやすいです。

なぜなら相手の好みや興味の分野(情報)と心情や思想、感性(語り)の部分に踏み込む必要がないからです。 この逆三角形は、下に行くほどできる相手が減ると考えてください。ですので人数が増えれば最小公倍数的にこのレイヤーの会話が増えます。

情報

このレイヤーは趣味や興味の分野、仕事や技術の会話です。好きな食べ物や趣味のレジャースポットの情報交換、業界や技術の動向の会話です。 たとえば僕はプログラミングやソフトウェアが好きです。Webサービスやロック音楽、バイクなども好きです。こういう「プロフィール欄」に載ってそうなことがこのレイヤーです。 また、共通の知り合いの近況の話題などもこのレイヤーに入ると考えています。 要するに、共通のコンテキストのうえのみで成り立つ会話ということですね。

技術者のコミュニティや趣味などの集まりが大切なのは、同じコンテキストを持つ人が集まるのでこの情報交換がしやすいことにあると思います。 あいさつから入って、相手と話題があうところを探す必要がないからですね。いきなり「Vue 2だけどvue-loader使ってる?emacsだとjs2モードがmmm対応していなくて〜」や「ラバーソウル以降からそれ以前にない深みがでてサージェントペパーのスタジオ以降〜」などの会話です。 この「情報」のレイヤーは、コンテキストがあえば会話もよくあいます。

ただコンテキストが共有されているからといって「情報」の話ができるとは限りません。 「技術コミュニティの飲み会はつまらないので行かない」という人は、この「情報」レイヤーの会話を強く期待しているけど、その実「あいさつ」レイヤーの会話(技術系や業界の「あるある」ネタ)に終始していて残念だった記憶があるんじゃないでしょうか。

語り

このレイヤーは自分の心情や考え方、生き方や感性、過去の生い立ちなどを語りあえる関係というレイヤーです。 ここで大切なのは 思想や宗教的に別であっても語り合える相手 というニュアンスがあることです。 相手の考えを上下や評価、優劣、同じか違うかの関係でなく、認めあって語れる相手かどうかという意味です。 政治思想が同じでも「情報」の会話や、まして「あいさつ」の会話しかできていないことは十分によくあります。

何の思想を持っているかでなく、自分の深い考え方や生い立ちを語れるかということです。 逆説的に、他愛ない会話ができるというのもこの相手だと思います。それはどのような話をしても相手と受け取りあえるという信頼があるからだと思います。

このレイヤーの会話が出来る人は、0〜多くて20人ほどだと思います。僕は5,6人くらいでしょうか。 同時にこの会話ができるのは多くて3人だと思います。人間心理的に「深い考えをさらけ出せる」と思える場はかなり少ないでしょう。

この考えの意味

これは僕なりに人との関わり合い、会話とは何かと考えてまとめたものです。 僕自身が「会話しているけど、何か物足りない」と思うときに、なぜそう感じるのかをまとめるために書きました。 僕の場合は「あぁ、もう少しこの人と深い話がしたいんだ」と気づくことや逆に、「情報交換がただただしたいと思ってたけど、これはこれで楽しいからいいか」と思うようにもなった気がします。

この図や説明自体が何かに役に立つというわけではありません。また、攻撃の材料にならないことを願っています。 ただ会話やコミュニケーションに不満や不安があるなら、自分が今どの会話をしたいのかを考え直すのに役立つと嬉しいです。

コミュニケーションが苦手とは何なのか

僕はコミュニケーションが苦手だと思います。具体的には人の上下が分からなかったり、「触れないでおこう」のような気持ちがあまり分からないのでキツすぎたり怒ってるように思われることです。ただ、あまり気にしていないです。

コミュニケーションが苦手、という場合は以下の2つの種類に分けられると思いました。

  1. 「あいさつ」レイヤーの会話ができない
  2. 相手と今どのレイヤーの話までできるか、進めればいいかわからない

オチから言うと、1,2両方なくてもいいんじゃないかなと思います。

「コミュニケーションが苦手」という論点は、多くの場合は上記の1番「あいさつ」のレイヤーの会話が苦手なだけだと思います。この部分が属に言う「コミュ力」だと思います。 たとえば会話の弾ませ方や相手との距離の測り方、面白い話の豊富さや話の展開力、リズムの良さや掘り下げ力、引き出し力やツッコミ力的な部分です。 正直、 コミュ力があるかどうかは全く気にしないとなくて良い と思います。

2つめの「相手とどのレイヤーまで話して良いか分からない」、これは話の相手がたくさんいる中で、相手とどれくらいの親密度でどの会話までできるかを測りかねることです。多くの場合は距離感がつかめずに浅めの会話で終了する場合です。逆に、急に深い話をしすぎて距離をとられてしまうという場合もあります。 ですが、 相手との距離感も別段測れなくて良いと思います 。十分見知った相手と会話できればそれで十分だからです。

上記2つ目まではなくても良いと思います。まぁ、かといって「あいさつ」レイヤーの会話は全く不要だとか、その会話ばかりする人は愚かだとか思う必要はないと思います。ただ、 不要とは言わないが思い悩む必要はまったくない と考えています。 人間社会の中で求められるケースはあると思いますが、それは狭い視野での正義でしかないので無視しましょう。

ただし、永遠に誰とも「深いレイヤーの話をしない」のは少し寂しいように思います。 属に言うコミュ力も不要ですし、深い会話ができる人を増やせる必要もとくにはないですが、いつまでも「あいさつ」や「情報」で会話を終了させようとするクセを持っていたり、優劣や競争、勝ち負けをベースに会話してしまい親身になれないのは少し残念に思います。 信用できそうな人と、上下なく少しづつ語ってみるのが良いと思います。僕も、そういう会話を大切にしたいなと思っていますが、なかなか難しいですね。