「趣味」という言葉に対してのハードルが日に日に強くなっていると感じませんか。
「このレベルでは趣味じゃないから」、「終わったら内容をまとめておかないと」、「まだここがコンプできてないな」など、 単に「趣味」と言ったときに付随する感情やレベル感、義務が大きくなっていると近ごろ自分の中に感じます。
もちろん頑張れることや何かを生み出すこと、達成することは素晴らしいことです。 ですけど最近は人生の99%がそういった頑張りの必要な時間になっている気がしているので、逆に、完全に消費的な趣味を考えてみました。
対象の人、対象でない人
最終的な目標や、生産的なこと、やりたいことはすでに持っている人と共有する考え方です。 「やってること多すぎてるかな。。。」「趣味へのハードルが高いなぁ」と思う・思ったことがある人です。
僕がまとめる内容はより生産的で健やかな人生を送るために書いています。 単に「何もしない優しい世界になろうよ」というつもりはありません。より生産的かつ心地良く生活や仕事をしたいという考えがまずあります。
静かな趣味
「消費的」というと語弊があるので、これからは「静かな趣味」と呼びます。 より生産的になれるように、あえて静かな趣味を考えてみます。
静かな趣味は完全に 静か でなくてはいけません。 趣味中にも頭の中で「ここまでやりたい」、「こうでなくては〜いけない」という考えは捨てるようにします。
静かな趣味では、以下のことを しません
- No Goal: 目的を持たない
- No Sharing: 共有しない(まとめない、アウトプットしない)
- No Review: 批評しない(分析しない、コメントしない
- No Agreement: 合意しない(一人でできる。社会に反しない)
- No Planing: 計画をしない
- No Choosing: 決断をしない(必要無い、少ない)
以下のことを します
- 自分が気楽に楽しむ
自分が癒やされる、気楽になる、焦燥感がなくなるためにやります。
例えば私なりに、自分の好きなことで静かな趣味を考えてみました:
- 音楽をただ聴く
- とくにお気に入りのLinkinParkやGreenDay、BobDylanをただただ聴く
- not「僕はロックが好きだから一通りのアーティストは聴いておこう」
- not「ついでに英語の勉強にもなるかな、意味を調べよう」
- 料理をする
- 新しい料理でなく流れでできる煮物や炒め物をただ作って食べる
- not「最高のチャーシューを作ってみたい」
- not「米はミネラルウォーターで美味しさが変わる、どれが良いだろう」
- 風呂に入る
- 入浴剤を適当に入れてただ入る
- 風呂あがりにホットアイマスクでもする
- not「あそこの銭湯にも行ってみたかった。行ってみよう」
- not「日本の名湯には一通り入っていないとね」
- バイクでいつもの道を走る
- 知ってる道をただ無意味に走る
- not「友人とツーリングの計画をたてよう」
- not「ヒザが擦れるようになりたい」
- 知ってるゲームをする
- 脳みそを動かさず、どこまでクリアしたいかも考えない
- not「この新作をプレイして感想を書こう。ぜひプレイしておきたい」
- not「スコアは3000以上いかないと、やったとは言えないだろう」
- ペットをただ眺める
- not「一通り飼育設備は揃えておきたい」
こうやってみると、自分が 趣味 としていることでも自分の中でのハードルが勝手に上がったりしていることに気づきます。 ささやかな瞬間にも頭の中の「頑張り」や「自己顕示」がでてくるので、それの無いようにします。
すでにある趣味でも「意識の高い」要素を抜いていくことで、気楽な趣味にできそうです。 僕はプログラミングが大好きですが、どうしても「目的」がついてくるので静かな趣味からは外しました。また、前提として前準備や注意点が多いツーリングなどもそもそも「静かな趣味」には向いてないようです。
「頑張り」を抜いて静かな趣味に変えるには、この辺りを意識してみるといいかもしれません:
- 「コンプリート」をやめる
- 「こういうものを作って便利にしたい」、「勝ちたい」、「今日はここまでいきたい」という目標をやめる
- 「ちゃんと参加しないといけない」、「毎日続けよう」という義務感をやめる
- 「こんなことやっています」、「新しいこの曲はここが最高なのでオススメです」などSNSへのシェアをやめる
- 始めるまでの準備や調整がいることは一切やめる
この視点で考えるだけで気楽な趣味に変えられるんじゃないでしょうか。 せっかく見つけた自分の好きなことです。その好きなことに潰されないようにしたいものです。
まだ僕なりにも考えてみている段階ですので、間違っている点や他にも良い視点が今後でてくるかもしれません。 何かあれば、ぜひ教えてください。
心の疲れをとる技術という本にある「静のストレス解消法」
僕のお気に入りの本に「自衛隊メンタル教官が教える 心の疲れをとる技術」という本があります。 この本は、実際に自衛隊のコンバットストレス教官をしていた下園さんという方が、事故や災害、ショックな状況に対面する自衛官の心理的ケアに関わる中で培った方法論を紹介する本です。
「心の疲れをとる技術」でも「静」のストレス解消法を持つことが大切だと書かれています。
ポイントは、「動」と「静」のストレス解消法を持つことだ。特に「静」のストレス解消法を準備することを強調している。 エネルギーが低下している第2段階以降は、活発に活動する「動」のストレス解消法は、確かに快感も大きいかもしれないが、その活動のための疲労が大きく、結果的にムリが深まっていく。 例えば、疲れている人が、休日に趣味のサッカーをしたとしよう。その時は楽しいかもしれないが、次の日はもっと疲れている。 ドライブや海外旅行なども、かなりのエネルギーを使う。
「第2段階」というのはこの本で語られている心の疲れの3段階の2段階目ということです。
夜更かし系のストレス解消法も、第2段階以降はマイナスが大きくなる。アルコールが加われば、さらによくない(アルコールについては、後述)。 第2段階以降は、静のストレス解消法を選択するべきなのだ。 ヨガ、軽い散歩などは、疲労回復に効果があることが証明されている。 話をするという作業は、悩みの整理になるだけでなく、静のストレス解消法でもある。 (中略) 他にも、森林浴、庭いじり、俳句や短歌、囲碁や将棋などの頭脳ゲーム、読書、音楽(聞く、奏でる)、映画鑑賞、プラモデル作り、料理、日曜大工などの単純作業、何か作り出す作業などは、心に栄養を与える。 ただし、オンラインゲームやマージャンなどのギャンブルは、なかなか抜けにくいし、夜更かしになりがちだ。お金を使いすぎたりすると、後で自責感が大きくなるというマイナスも大きい。注意が必要だ。 このような、静のストレス解消法は、動のストレス解消法に比べて、瞬間的な快感が少ない。しかし、続けているうちにじわじわとその良さがわかってくる。 だからこそ、第2段階までの比較的元気な時に、「育てて」おかなければならないのだ。
あまり詳細に「静」のストレス解消法については書かれていませんが、イメージは静かな趣味かなと思います。 こちらの本も良い本ですので、「ケガした時の保険」的に読んでおくと良いと思います。
引用元: 「自衛隊メンタル教官が教える 心の疲れをとる技術 下園壮太」1章より
- 作者: 下園壮太??
- 出版社/メーカー: 朝日新聞出版
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自分の趣味は何だっけ?どんな姿勢でやっていたっけ?
最近こそ「趣味」と言えるまでのハードルが高くなっている気がします。 SNSの普及で専門的なコミュニティに関わりやすくなったからでしょうか。より高い「趣味性」や「SNS映え」が大切になってきている気がします。 また「好き勝手なセリフや批評を控えて、正しい意見をやり取りすべきだよね」という良い流れも感じます。ですが逆説的に、好き勝手やれる・言える隙間が少なくなっているようにも思います。
今ある静かな趣味は何でしょうか。 単に好き勝手できて、誰にも言わない趣味。 少し気を抜いてできるものを考えてみるのはどうでしょう。
自分の好きにできる趣味なんだから、本当に何にもならなくても良いと思います。 そのリラックスできる時間で心身が回復して、頑張りたいときに頑張れるようにしておきたいです。