Make組ブログ

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社会って論理的じゃないよね。僕らの弱さ、そして小野マトペ氏の裁判に感じること

皆さんのコメントを読んで、反省しました

皆さん、たくさんのコメントありがとうございます。 僕自身の考えや文が稚拙であったことを反省しました。

まず、僕は「社会は論理的でないところがある」ように書きましたが、これは良くなかったなと考えを改めました。 僕の間違いは、自分は論理的に考えていると思っていたものの、社会の中にある論理や合理性を軽視していたということです。 自分に理解できないものを、論理ではないものだと考える、感情的なものでした。 さらに文自体も感情的で良くなかったと反省しております。

皆さんのコメントのおかげで気づけました。ありがとうございます。 僕は、自分以外の世界というのに少し感覚が弱かったというか、軽視していたのだと思いました。

この記事について、削除してしまおうかとも思いましたが、僕自身が反省して学びこれからに活かすため残しておこうと思います。 内容はそのままにしておりますので、それを前提に読んでいただけると幸いです。

改めて、教えていただきありがとうございました。 そしていつも読んでいただき、ありがとうございます。

本文

社会って案外、論理的じゃないよね、と感じた話をさせてください。

いえ、僕こそホントは論理的でなかったと勝手に反省した 。オチを言うとそういう話です。

小野マトペ氏の裁判が終わり、個人的に「うわぁ」と思ったので感想です。

平たくまとめてるとこういう裁判です:

  • Twitterで「俺はコロナ」とネタをツイート
  • 居酒屋に行って写真をツイート
  • 刑事事件(偽計業務妨害)になる

もとの話はこちらを: note.com

何が怖いのか

まさに自分のことだったからです。

この裁判は控訴棄却で有罪判決となりました。 「ネタであり業務妨害をする気なんてなかった(故意でない)」という点が裁判において認められなかったということですね。

でも僕自身にも、すごく心当たりがあるんですよね。 まるで自分のことかと思いました。

Twitterでその日盛り上がった話題やニュースに、ちょっぴり過激な面白いことを言いたいことってあるじゃないですか。 友だちと飲み会をして「濃厚接触!」なんて冗談を飛ばしたいときもあります(ネットには書かないネットリテラシーを発動)。

もちろん、褒められたことではありません。 でもそんな、なくもないことが刑事事件になってしまう んだなということです。 僕も反省するところです。

たしかに前後関係を繋げていけば「業務妨害になっても構わないと思ってますよね?(未必の故意である)」と追い詰められる状況になります。

社会は論理的じゃない、そして僕こそ

僕が感じる「ロジック」とは違う論理があると言うべきでしょうか。そして自分が思っているほど、自分が論理的ではなかったということです。

裁判を見ると、小野マトペ氏が「故意に業務妨害をやったぞ!」と言える決定的な証拠はないわけです。 たとえば「店を名指しした犯罪行為を感じさせるツイート」など明らかなものはありません。

さらに、民事的ないざこざではないので、刑事的な「故意に犯罪をやっているかどうか」が争点なわけですね。

ただ、社会には「社会的に見てどうか?」という倫理による力があって、(情勢も鑑みて)納得感のある正義が勝ったわけです。 僕の学びとしては「ロジカルに言えば問題ないでしょう、とは言えない」、「納得感や社会的な倫理が重要な世界なんだ」という社会の掟に気づいたことです。

でも、そう考えれば、当たり前のことを言ってしまっていますね。

僕の弱点:論理的思考だと思ってしまう

論理的思考こそ至高なのではないのですか? そうなのですが、その思考が危ういんですね。

社会や法における「論理」と僕が感じている「論理」や合理性は違うものなんだなと分かりました。 いえ、むしろ本当はエンジニアの世界にもロジックだけじゃないものが大事なはずなんです。

そうでない、社会のもつ「納得感」が、一般的な世界の枠組みにおいて重要視されるわけです。 実際に小野マトペ氏の記事を読むと、論理や「自分の中にある正義」を大切にされてると分かります。

社会的な倫理観や、情勢、思惑や納得感を考える(おもんばかる)のも重要なんですね。 人の気持ちや常識、そしてそれらを動かす修辞や弁論も重要なわけです。

論理的思考は僕たちの世界においては絶対の理!と考えるのも、むしろいびつなんでしょうね。 正直、僕自身も上手に生きられてるとは思いません。

僕が学ぶこと

僕が学ぶこととしては、論理的思考だけで物事は決まらないと受け入れるだと思います。 実際に世の中は社会的な倫理観や納得感、そしてそれらを動かすレトリック(修辞)や弁論術やリテラシーが重要なようです。

飛躍してしまえば「有罪かどうかも修辞や弁論に左右される」ということですよね。 「いやいや、そのために弁護士がいるんでしょ!」と思った方は、そのとおりです。 小野マトペ氏のまとめ記事にも、弁護士を選ぶことが相当重要であったと反省が書かれています。

むしろそれこそが学びです。

「己の潔白と事実を説明して共感してもらえば分かってもらえる」と思っていませんか? そんなことはなかったんですね。 そもそも、社会的な通念を重んじるのも大切なんですね(当たり前のことですが)。

僕は、自分の「論理が正しい」思考を改める必要があると思いました。 そして合理的な時代の今だからこそ、修辞学(レトリック)や弁論術、そして法学や倫理こそ学ばないといけないのかな、ということです。

おわりに

ぜひ小野マトペ氏のまとめ記事を前半から読んでください。

あと、これに関したおすすめの本です。 このリンクから買ってくれると嬉しいです:


執筆:Kiyohara Hiroki (@hirokiky)Shodoで執筆されました