Make組ブログ

Python、Webサービスや製品開発、ライブラリー開発についてhirokikyが書きます

「RPGの宿屋」は必要ない?

今日は、このツイートが良い疑問を投げてるなぁと思ったので、僕の考えをまとめました。

たしかに、記号化したRPGの宿屋の必要性は考える余地はあると思います。

でも価値要素は無いと言い切れるのでしょうか?僕はそう思いません。 このブログ記事では「RPGの宿屋にも意味はある」という立場のもと、なぜそう考えるかを話します (あくまでその立場として書いているということなので、争ってやるという気持ちはありません)。

僕は、 RPGの宿屋の価値要素は「分かりやすい安堵感」 だと思います。

今回の話の元のツイートは、疑問を投げかけるという意味ですごく良いと思っています。 でも、ゲームの楽しみとかワクワク感とか「ドップリ浸かる感覚」とかは、機能的に「こうだからこう」というもの以上の何かが大切なんじゃないかな?と思っています。 それは 楽しむための「嘘のリアル」をどれだけ出すか ということだと思います。 安堵感や帰ってきた感覚を演出できる「RPGの宿屋」はそのために意味がある と思っています。

今回の話では、「宿屋にこういった機能を持たしているゲームもあるので、意味がある」というような、機能よりの話はしません。

僕とゲームについて(読み飛ばし可)

(この節は僕がゲーム好きだよと主張してるだけなので、読み飛ばして良いです)

僕は生まれてからずっとゲームが大好きです。仕事ではゲームに関わったことはない、ただのゲーマーです。 今はSwitchとXBOX ONEのゲームをよくやっています。FPSからRPG、縦横シューティングからパズルまで何でもやります。 TGM(ARIKAテトリス)の基盤も持っています。

最近良かったゲームは CELESTE です。これはまじでやったほうが良いですよ。 あと、この1ヶ月くらいで買ったゲームはマリオパーティの最新作(まだプレイはできない)とか、NiER Automataとか、ドラクエ10とか、ケロブラスター(Switch版)とかですかね。

大切な無駄があるという話

さて本題です。

僕はゲームはその中に存在しているときの気持ちとか、動きの手触りがすごい大事だと思っています。 ゲームをする中で「ドップリ浸かっている感じ」や「ワクワク感」は、単純な機能とか効率とかじゃない要素から生まれると思っています。

RPGの宿屋はたしかになくても良い

先のツイートでは「RPGの宿は不要では」と疑問を投げかけています。 この疑問はすごく面白いと思うし、主張はもっともだなと思います。

意図を汲み取ると、ゲーム内の街の中でわざわざ宿屋に行く必要性はあるのか?ということで、平たい話が「ドラクエの宿屋」をイメージしているのかなと思いました。

宿に歩いて行って回復する。確かに面倒くさくもあります。 「街に入ると自動回復するのはどうか」と提案されていますが、僕が拡大解釈するなら、例えば街に入った瞬間に一瞬ブラックアウトして「休まったよ」という表現すると良いかもしれませんね。

RPGの宿屋は、気持ちとして必要

でも僕は、プレイヤーが戦いから離れて「気持ちを落ち着ける」ために、宿屋とか自宅とかが必要なんじゃないかと思います。 プレイヤーが「帰る場所」、「安心する場所」と認識しやすい場所が必要 だと思います。

もちろん「街に入ると回復案」でも、帰る場所の意図は演出できますが、より分かりやすく直感的な「帰る場所」が大切だと思います。

例えば「宿」、「家」、「ベッド」、これは論理じゃなくて感覚の話です。 感覚的に、人間は「そこに行けば休まる」と知ってるからです。

それを日常生活で知っているからこそ、ゲーム内でもそれを求めるし、あれば気持ちの安心できる場所として機能すると思います。 そして、その場所に一回帰れるからこそ「よし、また戦おう!」と強く思えるんじゃないかなと思います。 (「いや、街で自動回復でも慣れれば安心感でるんじゃね?」という意見にも同意しますし、試す価値は大いにありそうです)。

つまり 「街に入ると回復」は「無駄は少ないけど表現は弱い」 ものになると思います。 「宿屋で回復」は「無駄はあるけど表現は分かりやすい」 ものになると思います。

無駄なリアリティは無駄

「熱砂で金属の防具が熱くなることを気にするプレイヤーはいない」と元のツイートにありましたが、その通りで、当たり前だと思います。

面白くもないリアリティは要らないから です。この要素はゲーム的に全く面白くもないし、気持ち的にも面倒くさいだけなので要らないと思います。 「リアリティ」を勘違いしたゲームにありがちですが、 楽しみとか、気持ち的なプラスにならない「リアリティのある」要素は無駄でしかない と思います。

ゲームは 「楽しめる嘘」、「楽しむために出すリアリティ」というのが大切 だと思います。逆に、不要な表現は排除すべきです。 例えば TF2 というTPSは、被弾したときのダメージ判定が頭でも足でも同じです。 これは「リアリティがない」ですが、このゲームのカジュアルさや「楽しみ」のためには不要だった要素ということです。

「宿屋」や「自宅」は帰る場所として分かりやすい要素だなと僕は思います。 もちろんこれも、ゲームのコンセプトや演出したい感覚に沿えば、排除しても良い要素だと思います。

RPGの宿屋は要らない」話は、「一旦どこかに帰って落ち着きたい」という感覚をどう満たすのかという話に行き着くのかもしれません。

現状を見直すべきゲームも多分にある

ゲームによっては街の設計を見直したほうが良い場合や、宿屋とか回復のシステムそのものを見直したほうが良いものもあります。

ReCoreにおける自宅は、安堵感もさほど無いし、回復もシステム的過ぎて面白味にかけていました。 ドラクエ10 の街の設計は導線を見直したほうが良いと思いますし、どのゲームにも常に改善の余地はあります (ReCoreはゲームとしての改善点は他にも多分にありますが)。

ともかく、「RPGの宿屋」だけでなく「機能性以外の気持ち」とか「プレイヤーと暗黙的に共有できる気持ち」とかは大切だと思います。

機能以外に実は求めているもの

例えばゲーム内で「馬」に乗りたいのは、移動速度をあげるためだけじゃありません。 「馬に乗って平原を走りたい」という、プレイヤーの根源的な気持ちがあると思います。純粋な「馬に乗る」ことに対する憧れみたいなのがあると思います。

他にもゲーム内で「自宅」を買いたいと思うのも、ゲームの世界の中で、自分の安堵できる空間が欲しいという気持ちが大きいと思います。 「回復するため」や「物を置く場所のため」だけじゃない理由があるはずです。 Skyrimとかで家買ってカスタマイズするの、僕はすごい好きなんですよね。家を持っているという所有欲も満たせます。

確かにゲーム内での機能も求めてるんだけど、そこにある「気持ち的な、それ以上」を本質的には求めているんだと思います。

なので、 直感的に「疲れたからベッドで寝たい」という気持ちに答える表現は大事にしたほうが良いと思います 。 街に入って自動回復したら、どんな気持ちになるんでしょうか。僕は、ちょっと冷めると思いますし、あんまり休んだ感がせずゲームにルーチン作業を感じてしまいそうです。 ぶっちゃけドラクエの宿も、カウンターで話すだけでブラックアウトして回復するのでイマイチ だと思います。

まとめ

ゲームなんて、そもそもやってること自体が無駄です。

なので「RPGの宿屋」は、たしかに無駄な場合とか改善の余地がある場合もありますが、それ自体がもたらす「分かりやすさ」とか、「安心感」とか、「帰った感」とか、「あぁ、宿に行ったから休んだのね」っていう気持ちの共有は必要だと思います。 「戦闘で疲れたときに、気持ち的にも帰りたくなる場所」としての役割が明確になるんだと思います。

RPGの宿屋は「必要な無駄」 だと思います。 無駄だけど気持ちとして必要 な場合があるということですね。