あなたが何かを作るとき、どういうイメージでものを作っていますか?
日経なんかを読んでいるとスタートアップが買収されたとか不祥事をおこしたとか事業撤退、転換したという話を毎日読めます (僕は日経とかそういうニュースは好きで読んでいます)。
そういう話題の中にある「ソフトウェア開発」や「起業」はみんな「宝探し」をしてるんじゃないか?と思いました。 買収する人も買収される会社も、何かを作る人も売る人も、みんな宝探しをしてるように感じることがあります。 でも僕がしたいのは、仏像彫刻とか、そういう別なものなイメージだなと思った。今日はそんな話です。
(単なる気持ちになったという話なので、何の知見もありません。また、誰かや何か、何かしらの主義や思想を否定する文ではありません)
ここでいう「宝探し」とは何でしょうか。僕の単なるイメージなんですが、大きな砂山かゴミの山があって、人間がその中に飛び込んだり掘り進んだりして、お宝を物色するイメージです。 あれでもない、これでもないと手に持つものを取っ替え引っ替えしつつ、いつか巡り合う最高の価値あるものを探しているように思います。 ソフトウェア開発、投資、起業、どの文脈でも構いませんが、「宝探し」的な「ものづくり」をしている人がいるなと感じています。 ゴールドラッシュに例えられがちなのも、そういうイメージが一致しているからなんじゃないかなと思っています。
それもワクワクするし、僕も「かっこいいな」と思いますが、僕がやりたいことは実は少し違うんじゃないかな、と思ったんです。 もっと僕のしたいものづくりは、仏像彫刻とか、旋盤の切削加工のようでありたいということです。 他に近いイメージは建築とか、旋盤とか、陶芸とか、盆栽のイメージです。 このイメージは何かを漠然とした中から探し当てるのでなくて、すでにある何かから目的のものを削り出したり整えていくイメージです。 カッコつけるなら魂を込めていくと言っても良いかもしれません。 このイメージに沿って考えると、この「ものづくり」の思想は1つのものを作るのにはかなりの時間がかかるだろうと思います。 何か対外的な正解を見つけるのなくて、内側にある何かを求める作業になります。内から出る良さというか、にじみ出るすごさみたいなものを作る作業です。
宝探しと彫刻、どちらが「正しい」のかは僕は分かりません。ただ僕は彫刻のようなものづくりをしていたいです。 正直に言うと、「数週間で作ったこのサービスが何万ユーザー獲得!」みたいな話を聞くと残念な気持ちになります。 製品の良さやユーザーさんへの価値を掘り下げれてないように思えるからです(もちろん、短期間で本当に良いものを作ってる人もたくさんいます)。
もちろん早期のフィードバックを得ることは何より大事ですが、自分たちですら納得のいっていないものを多くの人に届けていいのでしょうか (知り合いとか、よほど興味のある人には良いと思います)。 とても良い才能を持ってる人が、アテンションを集めるためや、早々に売り切るために人生を無駄にしているように思えてしまいます。 本質は製品であったり、使って本当に喜んでくれる人の近くにあるんじゃないでしょうか、と僕は思っています。
スタートアップとか起業の本を読むと、「宝探し」が良いという話が多いように思えます。 ですがそうでない本もあって、例えばリーンスタートアップは僕が読んだ印象では彫刻家よりな発想に感じました。 リーンアナリティクスも、拡大の前にエンゲージメントに注力するよう説いていますし、そっちの解釈で僕は勝手に共感しています。
Lean Analytics ―スタートアップのためのデータ解析と活用法 (THE LEAN SERIES)
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起業の科学という本もリーンスタートアップの影響を強く受けている本で、ピボットするべきかどうかの判断について書かれています。 そのなかで「やりきっていないピボット(UX改善や機能の磨き込みをやらずにピボットしてしまうこと)」は良くないと具体的に書かれています。
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この「磨き込み」という表現が好きで、この部分以外も含めて良い本だと思います。
PyQ も作りはじめて2、3年くらいになりますが、ようやっと自分的にも納得がいき始めたラインです(まだまだ納得できていません)。 PileMd も単純なノートアプリのわりに、構想から足掛け1年以上、余暇で作り続けていた記憶があります。 正直、まだ僕の作った(作っている)ものは「こいつはマジすげぇな」と僕がドップリ心酔できるレベルに至っていないと自分で思っています。 もちろんマジですげぇ製品たちですし、人に十二分に価値を届けられるものだと思っているので、公開したり、サービスとして売っています。 ただ、木橋ミュージアムやマツダロードスター、スタジオピクセルの洞窟物語やCELESTEみたいなものには、まだ至れていないなと自分で思っているという意味です。
いつになったら作れるのか不安にすらなります。
最近行った、建築の日本展という美術展もとても良かった。そういった工芸的な芸術性や、簡素な中にある深みとこだわりを感じれて良かったです。
僕は自分の作りたい製品があって、Webサービスや自分のものを作り続けていますが、人によって「サービス開発」や「起業」というものに思うものは違うんだなと最近よく思います。 「Webサービス開発者どうし」、「クリエイターどうし」、仲良くやっていきましょうとも言いますが、僕は人がそれぞれ見てるものは全く違うと思います。
僕はたぶん、「スタートアップ」になりたいわけじゃないのだなと最近思います。すごく憧れますし、かっこいいとずっと思っていますが。 僕は単に、良いものづくりをして、それを使ってもらいたいだけなのかなと思います。 高専で旋盤を回していたときから、このMake組ブログを作ったときからずっと、単に自分の作りたい良いものを作って誰かの役に立てば良いなと思ってるだけなんでしょうね。
そんなことを考えていた、PyConJP明けの休暇でした。