Make組ブログ

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4年間、同じ服を着て気づいたこと

追記:結局、またさらに1年同じ服を着ていました

私の娘は2歳なのですが、父が黒いTシャツ以外を着ている姿を見たことがありません。

この4年間、同じ服をずっと着ていました。

今日はその4年間、同じ服を着て気づいた発見を皆さんにお伝えしようと思います

同じ服ってどういうレベルで?

事前に仕様の説明から入らせてください。

この4年は以下の服を着ていました:

  • 基本
    • 黒の無地クールネックTシャツ(ヘインズのプレミアムジャパンフィット)
    • ジーパン(EDWIN 402)
  • 上着
  • 温度調節用

僕に会ったことがある人は「あー」と納得いただけると思います。

ケンオールパーカーを着がち

2019年に書いた記事のスタイルから基本的に変わっていません。

どれくらい同じ服だったのか

完全に誰得の情報なので、読み飛ばしてOKです。同じ服を着る生活をしてみたい人は参考にしてください。

  • 黒のTシャツとジーパンは、ほぼ100%毎日着ていました。唯一スーツを着るときに白の下着を着ただけです
  • 型番の誤差として、Tシャツにはスリードッツのジョシュが8枚中2枚、ジーパンはアメリカンイーグルのスリムが5本中2本入っています
  • 黒ワイシャツやタートルネックなどは春や秋ごろに、Tシャツだけだと寒い日などに着ていました
  • 靴はM996からAllBirdsに途中で変わりました
  • 寝間着はイベントのTシャツなど比較的自由ですが、最近はグレーの無地スウェットを多く着ています
  • 下着については同じものを買い続けることが難しく、Amazonで似た黒の靴下やパンツをまとめて買っていま

意外とジョブズもゆるい

「同じ服を着る人」として有名なスティーブ・ジョブズマーク・ザッカーバーグもゆるいところがあります。

ザッカーバーグ氏はグレーのTシャツしか着ないと言われつつ、Metaへの社名変更発表時に黒のシャツを着ていたりします。スティーブ・ジョブズも実は靴の型番を変えていたり、休暇中に白いシャツや半ズボンをはいた写真が残っています(娘のエリンと金閣寺で撮った写真など)。

まぁそういった「同じ服を着ていると認識されている人たち」も本当に100%ずっと同じ服ではないので、僕も「同じ服を着ていた」と言って差し支えないと思います。

4年間、同じ服を着て気づいたこと

本題です。

こういった記事は良い点ばかり列挙しがちですので、今回はとくにマイナスの面も意識して紹介したいと思います。 4年間、同じ服を着て気づいたことを5つ聞いてください。

スーツは要る

断言しますが、スーツは要ります。

少なくとも、友だちの結婚式に行けるようなスーツは必要です。 他にも大事な商談のときや、銀行に行って会社の融資をお願いするときなど、スーツを着るべきときは現実に存在します。

スーツを着るべき場面を、セットアップやジャケットだけで誤魔化すのは少し難しいと思います。 「考えることを減らすため」に同じ服を着ているフシもあるので、「スーツでなくて良いだろうか?」と気になるほうが本末転倒です。

「絶対にどんな状況でも大丈夫な服」を着続けたい、と考えないほうが良いです

そんなものはありません。

ジーパンで結婚式にはいけませんし、スーツでプログラミングをしたくありません。先述したような季節用のワイシャツなどもそうで、あまり厳密に「絶対にこのTシャツとジャケットしか着ない!」とすると状況や気温にあわせられなくて、逆に考えることが増えます。

仮に「袖が着脱可能なセットアップ」と言えるものを用意しても、僕はあまり好きじゃありません。それはすでに「1つの服」ではないからです。であれば、状況や季節に応じた服を着たほうがシンプルです。生き方をシンプルにしようとして手段や振る舞いが複雑であれば意味はない、と考えています。

スーツを着る場面では、スーツを着るのがシンプルな生き方です。

着たい服を買えない苦しみはある

1ヶ月、プロテインだけ食べて生活してください。 食事から得られていた幸せの大きさに驚くと思います。

それと同じで、「着たい服を着る」という幸せは案外大きかったんだと気づきました 僕は欲しいTシャツがあっても「これは着られない」と諦める必要があります。

ふと買い物に行ったときやネットで見かけたとき、推しがグッズを出したときなどありますよね?ほとんどの場合、諦める必要があります。これが案外、寂しいものです

そういった日常の小さな喜びが減ってしまいます。ある意味では、その可能性を断つことで余計なことを考えずに済んでいると言えます。

公私の区別をつけにくい

意外な盲点なのですが、精神的に公私の区別をつけにくいです。

休日も平日も同じ服に着替えますので、「よし今日は仕事だぞ」というようなメリハリが生まれません。とくに最近は自宅で仕事をする機会も多いので、何らかの切り替えスイッチは欲しいものです。

人間には着ている服や周囲の状況から自分の気持ちや感情を調整する機能があるように思います。僕の場合は部屋を1つ仕事用にしていますが、同じ服を着て生活するのであれば何かしらの切り替えスイッチは用意したほうが良いです。

考えることは案外増える

「同じ服を着れば考える回数が減る」とも言い切れません

たしかに毎朝服について考えることは減ります。そこは楽です。ですが「同じ服を着る」という思想自体を考える機会は増えます。たとえば前述の通り服が買えないなと残念に思ったり、定期的に今の型番の服で良いか検討したり、このブログ記事を書いたりします(逆にめちゃくちゃ考えてるが!)。

だんだん慣れて考えることは減り、4年も経てばほぼゼロになりますが、最初の1年くらいは考えることが増えると思ってください。

服飾について一番考えない状態が何かと言うと、「着たい服を深く考えずに買って、毎朝何も考えずにあるものを着る状態」だと思います。つまり、普通でいることです。

とはいえ、僕はズボラなわりに「この着合わせで良かったかな?」と心配になったり、「今日はこの服で良かったかな」とずっと気になる人間なのです。「この服を着ているということは、こういう感情だと予想されるのではないか?」とまで考えることもありました。

そういった憂慮の余地がなくなったのは、同じ服を着ていて良かったことです。 ですが「同じ服を着ることについて考える」機会は、始めてから1年はとくに増えます。

「いつも最高の自分」ではない

ネットで同じ服を着ることについて調べると、利点として「いつも最高の自分でいられる」というような表現を目にします。

断言しますが、いつも最高の自分ではありません(たぶんこれを言う人はエアプ勢だと思います)。 「いつも、いつもの自分でしかない自分」が正しいと思います。

誰だって良いスーツを着ているときやドレスを着ているときが最高だと思います。それはそうですよね。他にもオシャレな服屋さんでマネキンが着ているセットを買うほうが、誰にとってもより良い状態だと思います。

バッチリした服をバッチリ着て最高と思っている人の姿:

スーツをバッチリ着たほうが最高なのは間違いない

良い服だね!と褒められることはなくなります。「同じ服を着ているね」と言われたことすらありません。おしゃれをしたいのであれば「同じ服を着るのがファッションだ」なんて思い違いをせずに、素直におしゃれをするほうが良いです。

ただ、自分の中で外さない、好きなスタイルで居られることは事実です。その状態に無思考でなれる、というのが良い点です。

同じ服を着る生活はおすすめできる?

おすすめできません

多くの人にはできません。

準備や制約がある一方、とくに内面的なメリットは大きいと感じられず、誰かから褒められることもありません。僕にとっては結構快適ですが、不自由があるのは事実です(むしろ不自由を選択している)。

もし「仕事では決まった服やスーツを着ている」という人がいれば、案外それが良い答えだなと感じます。考えることを減らせますし、仕事モードに入りやすいです(もちろんプログラミングにスーツは向いていません)。

もともと同じ服を着たい傾向があるのであれば、試す価値はあります。自分のもともとの精神構造が重要なポイントです。たとえば「すでに靴下は黒の1種類で統一している」ような人であれば、Tシャツやズボンも統一して良いと思います。ただ、あまり真剣になりすぎる意味はないと思います。

僕は気に入っているのでこれからも続けると思います。ですが、より楽な気持ちでいようかなと思います。まぁ、どんな服を着ていても、僕は僕です

一番気づいて良かったのは、そういう部分なのかもしれません。4年かかってそれかよ、という内容ですね。

ここまで読んでくれてありがとうございます。


もし気になることや相談したいことがあれば @hirokiky に聞いてください。同じ服を着ることについては、平均的な人よりも続けているほうだと思います。

執筆:Kiyohara Hiroki (@hirokiky)Shodoで執筆されました