34歳になりました。
いつもは歌詞などを引用していますが、今日は少し話したいなと思います。
というのも、自分の伝えたい感情にピッタリ合う言葉もなく、自分の体験として今言っておきたい気分だからです。
さて、14歳のいわゆる厨二病だった僕も、そこから20年の歳を重ねたことになります。
そのころの僕はフリーゲームやRPGツクールに感動していたり、テキストサイトでゲームクリエイターの俺式やメタリッククローバーに憧れたりしていました。
俺式の影響で高専というものを知ったおかげで、それなりに頑張って府立高専に受かったり、プログラミングや旋盤に没頭したりできました。当時はただ何かを作っていたいと思っていたものの、具体的にどうすれば良いのか分からないこともたくさんあったように思います。
今はAIの時代と言われています。
僕としてはピュアな感動と創造性、そして憧れがその当時から続いていると思いたいですし、後に知るオープンソースからの天啓や、世界に対して何かができるという希望は捨てていません。でも、疑問を持つ必要もなくそこにあった何かがなくなった感覚があります。
それはおそらく魔法なのだと思います。人の手から生み出されたという、自分にもおそらく手に入るだろうが、その道筋すら分からない魔法への憧憬のようなものです。いえ、僕としてはその憧憬をまだ持っているのかもしれませんが、少なくともこの世から何かを生み出すことに対する畏怖や信仰がほんの少し廃れたのだと思います。疑問を持たずとも共有できたはずの感動や、魔法と神への畏敬の念がなくなったことが、とても悲しい。だって僕はそれが好きだったから。
が、その俺式のTatsuya Koyamaさんは今日も曲を作っていました。いつもながら絵を描いて、ゲームを作っていました。
たしかに世界から畏敬の念は失われたのかもしれません。ですが僕の憧れた人はそのままの人でしたし、僕も何も変わらず楽しく何かを作っているのが良いのかもしれません。僕はまだ憧憬を持ち続けても良いようです。