Make組ブログ

Python、Webアプリや製品・サービス開発についてhirokikyが書きます。

ツールやプロセスやメソッドも大事だけど、人や中身や見えない文化も大事だと思っている

僕はツールとかプロセスじゃない、人とか中身とか文化とか空気感みたいなのが大事だと思っている。 自分自身、エンジニアというか、ステレオタイプのThe工学の人間的な発想じゃないのは思ってる。

まず最初に。開発メソッドとかツール、プロセスっていうのは僕もすごく大事だと思う。 見えないものを形式知やプラクティスとすることで、誰でも恩恵に預かれるようになる。これはスゴいことだと思う。 考え方や「うまいやり方」をプロセスに落とし込んでおけば、より多くの人がよりよい仕事ができる。 例えば PyQ のチームでも匠メソッドでの要求開発をしていたり、いわゆるアジャイル的な開発スタイルを取っていたりする。

でも僕は、もっと人とか中身とかも大事だと思っている。プロセスみたいに見えてないけど、個々人とかチームの中にあるものが大事だと思っている。

どんなツールとかプロセスを使っていても、中で作ってる人の発想とかセンス的な何かで変わってくると思う。 良いチームでも遠慮しあってお互い言いたいことを言わなかったら妥協したものができると思う。 チームの信頼関係がなかったり変な競争があれば、どんなチームビルディングメソッドを使っててもダメだと思う。

例えばPyQチームだと僕はお互いに何でも率直に言うようにしている。チーム内で厳しい意見が出ることもある。 でも僕はその文化はすごい良いなと思う。やりにくいと思う人はいるかもしんないけど、製品には良いように働いてると思うし、僕はやりやすくて楽しいチームだと思ってる。 企画から自分たちでビジョンを追いかけて作ってるので、ちょっとでもブレるとすぐに要らないものになってしまう。 小さなチームなので、そうなっちゃえばすぐに続けられなくなって製品もチームも死んでいってしまうと思う (金銭的に生きながらえても、モチベーションもないゾンビプロジェクトになってしまうと思う)。

これはプロセスじゃなくて、PyQチーム内の文化だと思う。 「率直な意見交換が大事」って形式値化したり、意見交換を挙手制にしたりプロセスは作れると思う。 でも中の一人ひとりがどう考えて何を言って何を作るかですべては変わってくる。ここの部分に「中身」の大切さがあると思う。

僕は「プロセスが不要」みたいなことは一つも思ってない。ただ、プロセスとかメソッドは見えやすいので色んなところで語られるので、アンチテーゼとしてこの主張はしたいなと思ってる。 メソッドに対する中身、文化、空気感はあんまり語られないし、語られてもすぐ陳腐になっちゃう。まぁこの記事もただのエモ文章だと思う。 中身は毎度まいど新しくゼロから作らないといけないし、他にも転用できないものだと思う。だから見えにくい。

プロセスはそういうものを促進する触媒であったり、補正具にはなると思う。自転車といっても良いかもしんない。 それが超大事なのは僕も思う。人間の進化はツールの進化だと思う。でも、中身を無視しちゃいけないと思う。 データ構造が良くないとどんなプログラミング言語を使ってもうまくは書けないのと同じ。

そういうのは中身は毎日働く中で少しずつ積み上げていくしかないし、個人が人生の中で感じたものとか、触れてきた感動からくるものだからどうしても見えないと思う。

僕はどっちも大事だと思ってる。 でもツール、プロセス、メソッドが見えやすいからこそ、アンチテーゼとして人とか中身が大事だよっていうのは自分の中に持ち続けたい。

どこにでも通じる「これやったからうまくいった」ってことはないんじゃないかな。